2017年9月13日水曜日

ケモナー市会議員ドックス事件

コネチカット州ニューミルフォード市(町)の議員だったスコット・チェンバレン氏が、いわゆる「ファーリー」「ケモナー」等と呼ばれるジャンルの成人向け同人誌を発表していたことなどを理由に辞任に追い込まれたことがアメリカの新聞等で報道されています。
この事件について、アメリカにおけるファン・コミュニティ等の動向に詳しい翻訳家の兼光ダニエル真さんに解説をして頂きました。(以下の原稿は2017年9月13日に公開した緊急寄稿を加筆・修正して、正式版として翌日14日に公開したものです)


ケモナー市会議員ドックス事件

寄稿:兼光ダニエル真(翻訳家)



20179月に米国コネチカット州の人口2万人くらいの町、ニュー・ミルフォードのtown councilman(町会議員)furry(ケモナーとよく和訳されます)であるとして晒し行為にあい、一部の住民から批難されて辞職に追い込まれました。

三つの報道記事を読んで自分なりの分析をします。
元ネタの記事:
元ネタを元に各紙で展開している記事例:
後日談的な記事で、ファーリーは不当に弾圧されているのではないかという切り口の記事:


事のあらまし:


前々からケモナーということをあまり隠していないかった民主党派のニュー・ミルフォード町会議員の新人議員スコット・チェンバレン氏。誰からがチェンバレン氏が加盟している会員制ファーリーサイトへとアクセスしてチェンバレン氏のプロフィール情報を根こそぎぶっこぬきました。

この情報をFacebookにリック・アギー氏が「(有権者として)地元町議会のことを知ろう」とチェンバレン氏の趣味や志向情報を晒し、地元民主党の定例会議みたいな普段は何事も無い集会でアギー氏を含む少人数(恐らく一ダース未満)の抗議デモが勃発。「変態が私の町の取り仕切るな!」と連呼しました。

アギー氏の投稿やデモの情報は地元新聞やネットでどんどん拡散してゆきます。
チェンバレン氏は議員になる前からファーリー(ケモナー)であることはあまり隠していなかったが、恐らく回りは「キグルミが好きな人」程度の認識だったのが、会員制サイトで(恐らく想像上の)性癖やエロ創作にまで及んでいたことに驚いた模様。とかく「強姦(描写)を排除はしない」”rape – tolerate”というプロフィール設定がかなり物議を呼びました。

やがてデビッド・グロンバック市長はチェンバレン氏に辞職を迫り、チェンバレン氏は応じます。
なお、チェンバレン氏はグロンバック市長の市長選挙の選挙事務長でした。
二人は恐らくそこそこ親しい友人であり、グロンバック市長からすれば弁護すると「腹心を庇っている」と叩かれるのはなるべく避けたかったのでしょう。

表現の自由や個人の主義主張を尊重するアメリカ的には直接誰かが被害になっている嫌疑が全く掛けられていないにもかかわらず、チェンバレン氏への圧力は不当ではないかという問い合わせに対してグロンバック市長は「公職に就く者にはより高い水準が求められる」と今回の辞職を迫ったことを弁護しました。


ここから兼光の分析を並べます。 


Sex is different「性は別」論:

日本では許容されないような描写がアメリカ映画では多くありますが、一つだけ日本の方が寛容な題材があります。性です。アメリカを論じるとき、現地の人間の間でよく使う表現があります:Sex is different.(性は別。)これはどんな問題も性が絡むと次元が変わるということを示すものです。例えばゲームでそれだけ惨たらしい暴力描写があっても、性行為が絡まない限りかなり許容されます。お色気や性行為を匂わせるだけでレーティングで未成年へのアクセスを制限するのが有名な一例でしょう。

●着ぐるみは禁じられた趣味ではない:

誤解しやすいですが「着ぐるみが好き」だったのが問題ではありません。「着ぐるみ趣味」と「性についての探求」が同居していたことが多くの米国人にとって穏便ではない印象を与えたのです。そもそも「人の道を外れた性の可能性をSNSで嗜む」だけで村八分されてもおかしくない国なのです。米国は個人の権利と表現の自由を尊重する国でもあります。こういった性のサブカル要素を消し去りたい人たちもいますが、多くは「私達の知らないところでやってくれ」という考え方です。しかし公人が「想像上の規格外の性を嗜む」となると正当な理由が要求されます。チェンバレン氏が作家や音楽家、もしくはブラックユーモアを持ち味にしたコメディアンだったらより社会からの風当たりもこれほど強くなかったでしょう。少なくとも有権者を代弁する立場の人間には相応しくないという盛り上がりが発生してもなんら驚きません。人気コメディアンがアダルト映画鑑賞中に劇場で自慰行為に耽ったという理由などで社会的に抹殺されそうになりました。ピーウィー・ハーマンことポール・ルーベンスの事件もまた大変興味深いです。

●米国人の多くの間で想像上の性癖と現実の性癖が一緒にされてしまっている:

日本に比べるとアメリカの方がエロについてリアルとファンタジーの使い分けが下手ですが、アメリカ国内でもかなりの温度差があります。チェンバレン氏などクラスターの中にいる人間と外の人間の間では「想像上に隔離できる物事」について認識が違います。例えば今回の事件でもチェンバレン氏は件のファーリーSNSで「強姦(描写を含む作品)を排除しない」(tolerateは「許容可能」とも翻訳できます)という設定は、Pixivなどの投稿サイトでどんなコンテンツに興味あるかないかを明文化するフィルターです。このことを指摘しつつ「ファーリー趣味は(実際の)性行為とは関係ない」とチェンバレン氏は反論しましたが、「想像上の性行為」と「実際の性生活」を混同しやすいアメリカにおいてはこの反論はうまく響かなかったと言えるでしょう。

●良い性と悪い性議論の典型:

そもそもアメリカでは議員がエロ創作物を書いていた(記事を読む分にはおそらくチェンバレン氏はキグルミとエロ画を楽しみつつ、エロマンガの原作を用意して他の人に作画でマンガを作っていた)段階で議員生命が大ピンチになります。しかしながら例え想像上であっても「強姦を排除しない」というのがプロフィールに結びつくともう完全に「悪い性」という分類に入りやすいです。そもそも「明るいケモナー」と「ド変態ケモナー」という区分が有効なアメリカですから、一旦道を踏み間違えたと認証されると「ケモナーでエロって神への冒瀆だ!」「人間の性の道から外れた変態だ!」という批難が噴出しやすいのです。更には「正しい性創作」という考え方すらあります。「健全な性の営みを描写した創作物は問題ないが、想像上でも強姦などの反社会的な性描写はけしからん」という意見は珍しくありません。ここで断っておきますが、米国最高裁判所はそのような「反社会的な性描写」であっても実在する人間に危害が及ばず(未成年虐待副産物・児童ポルノではない、強姦行為の撮影ではない、プライバシーに抵触しない、等々)、猥褻ではない限り表現の自由の範疇に含まれ、保護対象になりえると判例を構築しています。
法律上は保護されている表現でも、一般的には容認されるべきではないと考える人もいますし、地方や年代によっては許容範囲が大きく異なるのを忘れてはいけません。
それでもなお、「良い性と悪い性」に分けようとする議論はアメリカでは古く、同性愛行為の制限や人種間婚姻の違法化も同じ背景の中で生まれ、撤回されたことを意識する必要があります。

25次元の恐怖:

アメリカでは完全に創作の世界に留めている、若しくは昔から表現の自由の適応範囲内と認識されている領域内であればかなり社会的には快くない事柄や惨たらしい描写も容認されやすいです。しかしコスプレやキグルミなど「創作の世界に近づいている」という姿勢を露にしていると他人から認識されればそこからがリアルでどこからが想像上のプレイなのかが不明瞭となりやすいです。日本のように「空気にあわせて生きるのがデフォルト」ではない社会ですから、価値観が不明な人は非常に怖がられます。これはファーリーだけにとどまる話ではなくてロック歌手なども同類扱いされるでしょう。「ステージでやっているショーをリアルでもやっている」と誤解する人はどこにも居るのです。

●ファーリーの温度差:

日本のオタクも問題児はいますが、「リアルはダメ」という共通認識や規律はかなり磐石であるとわたし個人的は思います。「想像上だけで楽しむ紳士淑女の領域」から外れると途端に集中砲火が始まるでしょう。しかしファーリーは結構古いファンダムですが、全体の自治能力がほぼ皆無に近い側面があります。ファーリーというジャンルは実はものすごく広く、「単にケモノキャラが好き・描く人」から「自らの体を改造してケモノに近づく人」「リアルに獣姦をしたい人」まで含められます。後者ものすごい少数派ですが、外連味の強いので必要以上にメディアで取り沙汰されます。これらファーリーは同じテントの下で仲良くやっているわけではなく、お互いに「オマエ気持ち悪い」とか「にわかファーリーめ」などとやりやっていますが、部外者からすれば総てファーリーとも見えます。もちろん、野球の試合で登場するマスコットが実や獣姦マニアというような認識は世間にはありません。このために「良いファーリー」「悪いファーリー」という二元論が横行しやすいのです。

●「社会からつまはじきモノ」の間の断絶:

この「良いファーリー」と「悪いファーリー」はファーリーのアイデンティティーにも影響を与えます。銃器マニアや人種差別主義者、サバイバルリストはどのファンダムにもいますが、ファーリーの間では結構目立った存在になることがありました。「国家・社会が非寛容であり、自衛する必要がある」「自分の身は自分で守る」という考え方から逆に非寛容的になったり、えげつない商売したり、銃を備蓄する人間もいました。さらには銃を所持容認論から他の社会政策では反論しても最終的には共和党寄りになる人もいました。ポリコレの流れにかなり抵抗している流れが古いファーリーの間では存在していると私は理解しています。「銃器携帯擁護してくれる・独裁的なポリコレに反対する共和党」「銃器を違法化する・ポリコレ推進派民主党」という競争のイメージがファーリーだけに留まらず、多くのファンダムの中に介在することがなくはないことを忘れないでください。

●二種類の容認されるべき公人:

これはアメリカに限った話ではありませんが、多くの人気公人は自らを「聖人君子」タイプか「急進派論客」タイプの方向性で自らを演出します。万人嫌われても特定の主義主張や正義を推し進めるのも私は急進派論客の区分に入れます。本来、政治家は聖人君子的な方向性を演出したがるのに対して、トランプは既存の政治の流れへの不満をうまく捕まえて大成しています。地元民主党なので地元住民からの嫌われたらお終いという点はありますが、チェンバレン氏騒動はこの二つの議論を巻き込んでいます。つまり「ポリコレ」の論法から言えば、ファーリー系も擁護されるべきではないか?という議論が生じるのはポリコレ急進派からすれば自明です。しかし「強姦を排除しない」が擁護論を切り崩します。もし創作者としての背景が強い人ならば「強姦を排除しないはリアルの強姦を肯定しているという意味ではない」と論じることが可能ですが、やはり聖人君子志向の強い民主党派閥としては「弱者救済」的立場を優先させて折れたでしょう。逆に多くの左翼の人からすると想像上の性志向について語ったチェンバレン氏が批難されて、実際に女性への強制わいせつを豪語したトランプ氏が許されるのかという不満がくすぶると思われます。

●アニメ・マンガへの波及の可能性:

端的にいうとあまり無いと思います。それはファーリーが既に50年近い歴史をもっているので古い慣習や仲間意識がネット以前のがまだ強いのに対して、アニメ・マンガファンダムの主力は今や1980~1990年代生まれが主体となっています。メジャーカルチャーの一部として認識されているので「欧米の価値観に馴染む部分と馴染まない部分」で揉まれてきたアニメ・マンガファンは性癖やリアル・創作の使い分けがファーリーよりもかなり意識させられているのだと思います。
またファーリーは全米で大ヒットしている『マイ・リトル・ポニー』ファンダムと一部で重なっている部分がありますが、ファーリーとして入ってきた人間と『マイ・リトル・ポニー』で入ってきた人間では立ち居地が非常の異なるので混同は危険です。むしろ同属嫌悪で『マイ・リトル・ポニー』ファンダムはエキセントリックに見えるファーリーを嫌っているのも予想できます。
最後のファンダムという表現ですが、ファンダムという言葉にはあまり意味はないと私は思います。アメコミのファンも、アニメ・マンガのファンも、SFのファンも、ファーリーも「ファンダム」ですが、お互いにやり取りが多いかというと結構分断されたクラスタの傾向が強いと思います。
日本におけえる「二次創作のコミュニティー」ほど連帯感はないと思います。

●想像上のアイデンティティーの脆弱性:

最後に特定のファンダムではそれ相応のアイデンティティーを構築するのは珍しくありません。ただ、日本ではゲームでネカマやったり、ナチスのコスプレやってもあまり騒ぎになりません。しかし米国だと「自らの出自を偽った行動」と行動だと捉えられ、他民族や異なるジェンダーのアイデンティティーや文化からの搾取に値する「cultural appropriation」と物議を醸しやすいですし、ナチスのコスプレをしているのに正しい答えを用意出来ないと途端に人種差別主義として村八分になります。


最後に今回の騒動の渦中の人の呟きを紹介しましょう。

 Hi, Guys!
Just wanted to let you all know that I'm alive, and well, and taking some 'me' time at Tiny Paws Con. Your support rocks!

こちらのスコット・チェンバレン氏のつぶやきですが
「やあ、みんな!僕は元気だってみんなに伝えたいんだ。あとそうだな、ちょっとTiny Paws Conで自分らしい楽しい時間を過ごしてるさ。みんなの応援、最高だぜ」
とわたしなら翻訳します


補記:

ドクシングって何?:DoxingとかDoxxingと綴ります。解りやすく言うと晒し行為です。






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2017年9月12日火曜日

米国離脱後のTPPと改正著作権法の行方

寄稿:山田奨治 (情報学者 国際日本文化研究センター教授)



 日本はTPP合意を期に、著作権の保護期間を70年に延長し、一部非親告罪化するなどの法改正をした。そして改正法施行の条件であるTPPの発効を待っている。ところが事前の予想通り、米国の新政権はTPPから離脱し、12カ国が合意した協定は宙に浮いてしまった。それにより改正著作権法は、成立したが施行される見込みのない「塩漬け」状態になっている。
 著作権を含む知財保護強化は、米国が強く主張してTPPに入ったものだ。それを呑むことで米国を含む自由貿易協定が実現するなら、総合的にメリットがあると判断したからこそ合意したのだ。米国が抜けたのならば知財保護強化はやめないと、米国から何も得ないまま譲歩だけすることになる。
 その米国抜きでTPPを進めようという、いわゆるTPP11の協議が行われている。報道によると、一部の国は知財部分の凍結を、当然のように主張している。ところが日本からもそうした主張をしているとは伝えられない。国益を訴えてTPP参加を決めたひとびとが、そうした態度なのはどうにも理解に苦しむ。
 それよりも気になるのが、TPPもTPP11もRCEPも密室協議で、そこで物事を決めて国内法を変える手法に、わたしたちが慣らされつつあることだ。グローバル化の推進者が国民国家を動かす力とスピードに、民主主義の深化が追いついていない。それが、いま多くの国で国民が直面している課題である。



2017年8月11日金曜日

インタビュー「岐路に立つマンガ論争」 ~編集長の永山薫さんに休刊危機の真相を聞く~

マンガ論争」が休刊の危機にある。そんな噂が流れている。

「マンガ論争」は、エロ漫画をはじめ、いわゆる「二次元系」「オタク系」と呼ばれるコンテンツに関係する表現規制問題をウォッチングしてきたミニコミ誌だ。
 第1号と位置付けられている『マンガ論争勃発』が2007年に発行されて以降、この10年間、児童ポルノ法制を転用したマンガ規制の動きや、地方自治体の不健全図書制度の問題など、マンガを巡る法的・政治的・社会的な論争を追い続けてきた。

 業界関係者にも購読者が多く、夏と冬のコミックマーケットに全日特設ブースを開設しているミニコミ誌に、いったい何があったのだろうか。

 編集長の永山に尋ねたところ、確かに「マンガ論争」は休刊の危機にあった。

 折からの出版不況の影響で副編集長の佐藤がUターン就職し、編集業務を縮小したことや、62歳になった永山自身の体力の衰えなどにより、最近では、コミケへの出展自体が危ぶまれたり、記事のクオリティに満足できないこともたびたびあったという。



 また、「マンガ論争」の売上部数も、損益分岐点をすでに割り込んでしまい、東京都青少年条例の改正問題(いわゆる「非実在青少年騒動」)の際には2000部を超えていた売上が、児童ポルノ法の改正が終わった現在では500部以下にまで落ち込んでいる。

 マンガ論争自身のマンパワーが低下してテコ入れが急務であったにも関わらず、いわゆる「表現規制問題」へのオタク層の関心の低下による売上減少が続き、必要な投資ができなかったということのようである。



「2017年の冬コミまでは何とか発行を続けるが、来年以降どうなるかは完全に白紙だ」と永山は語る。

 マンガ論争は売上の回復を目指して、記事の充実や、通販・電子版の拡充などを模索中だ。

 前号の「マンガ論争スペシャル03」では、二次元にしか興味がないと公言した初の国会議員:小野田紀美や、マンガ規制問題を鋭く描いた『有害都市』で文化庁メディア芸術賞を受賞した漫画家:筒井哲也へのインタビューが掲載されるなど、内容の充実化には一定程度成功したと言えるだろう。
 この夏コミ号からは、ろくでなし子のマンガも掲載される。

 まだ「マンガ論争」を潰すわけにはいかないと、永山は静かに語った。

「直近の法規制の問題は峠を超えたかもしれないが、マンガにとって法規制以上に怖いのは、何の法的根拠もないままに空気で進められていく事実上の検閲だ」と永山は懸念する。「有害コミック騒動のときは、法令の変更によらないマンガ規制があちこちで起きた。規制や言われのないバッシング、あるいは過度の自主規制によって食えなくなって廃業したり、自ら命を絶ってしまった漫画家がいることを僕は聞いている。一番悲しいのは、そういうイジメのようなマンガ叩きに、一部のマンガ家や、オタク・腐女子までもが加担してしまうことだ」

2017年7月8日土曜日

マンガがこれからも自由であるために

2017年7月8日に開催した講演会「マンガがこれからも自由であるために」には、マンガ研究者やメディア関係者を中心に約70人の方が参加してくださいました。講師のジャクリーヌ・ベルント先生と、パネラーとして登壇して下さった永山薫さん(マンガ評論家)、パトリック・ガルブレイスさん(文化人類学者)、そして参加者の皆様に御礼申し上げます。




 日時:2017年7月8日(土)14時~15時30分
 場所:あうるすぽっと 会議室B (東池袋)
 講師:ジャクリーヌ・ベルント教授(ストックホルム大学)

 竹宮恵子氏らとともに、長年にわたって、マンガに対する検閲と戦ってきたジャクリーヌ・ベルント博士が、2017年4月にストックホルム大学の教授に就任しました。国連機関や海外報道機関を巧妙に利用して、マンガ規制の「外圧」が作られていく中、マンガがこれからも自由であるための道について講演をして頂きました。


ジャクリーヌ・ベルント
 ストックホルム大学教授(日本語、アジア文化)。
 1963年生まれ。旧東ドイツ、ベルリン出身。
 フンボルト大学ベルリンにおいて日本学と芸術学を専攻。1991年に同大学より美学でPh.Dを取得。来日後は、横浜国立大学助教授、京都精華大学教授、国際マンガ研究センター副長などを歴任。
 2001年に横浜で開催された「第2回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議」においては、「漫画はCSEC(児童の商業的性的搾取)ではない」と題したワークショップを、社会学者の宮台真司氏、精神科医の斉藤環氏、哲学者の東浩紀氏らとともに行った。


 主催:うぐいすリボン
 共催:コンテンツ文化研究会女子現代メディア文化研究会


主催者からのお願い  今後も「表現の自由」に関する講演会等を継続するために、皆様からの寄付を必要としています。クレジットカード、コンビニ支払、銀行振込、ゆうちょ振替で簡単に決済できますので、ぜひ御協力くださいませ。


2017年6月18日日曜日

分散型ソーシャルネットワークをめぐる法的問題:マストドンを事例として

2017年6月18日に開催した講演会「分散型ソーシャルネットワークをめぐる法的問題:マストドンを事例として」には、プラットフォーム事業者や研究者を中心に約60人が参加して下さいました。講師の成原慧先生と、参加者の皆様に御礼申し上げます。

 演題:分散型ソーシャルネットワークをめぐる法的問題:マストドンを事例として
 講師:成原慧さん (東大院情報学環客員研究員)
 日時:2017年6月18日(日)19:00から
 場所:あうるすぽっと
 主催:うぐいすリボン
 共催:女子現代メディア文化研究会
 後援:日本インターネットプロバイダー協会



内容:
 話題の分散型ソーシャルネットワーク「マストドン」。日本でもインスタンスが相次いで登場していますが、その普及と同時に、いわゆる「非実在」系の性表現規制問題などの摩擦も表面化してきました。本講演会では、アーキテクチャと法の問題に詳しい東京大学大学院情報学環客員研究員の成原慧先生をお招きして、分散型ソーシャルネットワークの特徴と、それに関連する法的問題や、将来の政治過程に与え得る影響についてまで講演をして頂きました。


(写真提供:マンガ論争)

講師による講演内容紹介
「インターネット上では、国家による直接的な法規制が困難となる反面で、アーキテクチャとそれを設計・監理する媒介者を通じて間接的に違法・有害情報の流通が規制されてきた。マストドンをはじめとする分散型ソーシャルネットワークは、プラットフォームの分散により、ネットの自由を取り戻す救世主なのだろうか?それとも、メディアの分断により、ネット上の民主主義を脅かす破壊者なのだろうか?本講演では、マストドンを事例に分散型ソーシャルネットワークの特性を確認した上で、分散型ソーシャルネットワークの発展が表現の自由と規制、そして民主主義に対して提起する問題について考えたい」


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2017年6月14日水曜日

埼玉県警による漫画家への配慮申入れの報道について



埼玉県警察が、同人漫画作品に登場する手口を模倣した性犯罪行為があったとされることを理由に、作者に対して作品内容の自粛などを求めたと報道されている件、報道後、県警にはメディアや議員等からの問い合わせが相次いでいますが、漫画家への働きかを行ったのかどうかを含め、県警は回答を差し控えるとしています。

 この問題について、メディア法の専門家である京都大学の曽我部真裕 教授からコメントを頂きましたので、ご紹介いたします。

(撮影:永山薫

 

曽我部真裕 教授のコメント

警察が表現物の内容を問題視して要請を行った例としては、200911月頃に暴力団を美化・擁護するような書籍、雑誌等が青少年に対して暴力団に対する誤った憧れを抱かせる等の悪影響を与えるとしてコンビニ各社に撤去要請を行った事案が知られている。この件は訴訟になり、福岡高裁は2013329日、強制の要素がなかったことなどを理由に違法ではないとしている。
たしかに、一般論として、警察が犯罪予防等の使命の達成のために企業や市民に対して任意の協力要請を行うことは認められている。コンビニの例で言えば、地域防犯のために様々な協力を行っているのは周知のとおりである。
しかし、こうした手法は透明性や基準の明確性に欠けるところがあり、こと表現の自由に関してこうした申し入れをすることには慎重であるべきだろう。少なくとも、こうした申し入れをした際には必ず詳細な事案や理由を公表し、外部からの検証が可能であるようにしておく必要がある。

2017年5月24日水曜日

平成28年度の事業・会計報告

特定非営利活動法人うぐいすリボンの昨年度の事業報告書・会計報告書を公開しました。
 http://fields.canpan.info/organization/detail/1500866312