2016年6月22日水曜日

We pray that Kotobuki-san’s soul rest in peace

Shiro Kotobuki, artist, illustrator and designer, who became popular worldwide with his involvement in the Rumble Roses game franchise, passed away in the early hours of June 15, 2016.

Kotobuki had a traffic accident while he was a student that left paralyzed from the neck down due to injuries to his spine. Undaunted with his circumstances, he continued his creative life and developed a unique drawing technique by holding a pen stylus in his mouth and using a tablet computer.



Kotobuki actually had drawn very little prior to his accident. Reportedly he began drawing when one of his medical-care staff suggested he do so as a form of rehabilitation. Kotobuki had joked, “I’ll give it a try if I get to draw girls.” Thus, he set off on his unique path of bijinga—depictions of beautiful women.



Kotobuki had a fine sense of humor and was always ready to share his life experiences frankly and with an open heart. He also selflessly contributed toward efforts to secure more freedom of expression.

From the bottom of our hearts, we pray that Kotobuki-san’s soul rest in peace.

2016年6月11日土曜日

講演会告知「政治的中立性と市民的自由を考える 」

演題: 
 政治的中立性と市民的自由を考える 

講師: 
 宍戸常寿さん (東京大学大学院法学研究科教授) 
日時: 
 2016年8月6日(土) 15時~16時30分 
場所: 
 キャンパスプラザ京都 第3講義室 

参加無料
申込:http://kokucheese.com/event/index/405154/

内容: 
 18歳選挙権をきっかけとして、学校教員の政治的中立性の確保が論争の的となっています。 
 また、各地の市民活動支援施設等においても、利用基準等で禁じられる「政治活動」とは何か、市民活動における「政策提言」との違いはどこにあるのかが問われるようになりました。 
 政治的中立性の確保の要求が、表現の自由を始めとする市民的自由を萎縮させないためには、いったいどうしていくのが望ましいのか、東京大学大学院教授の宍戸常寿先生(憲法学・情報法学)に講演をして頂きます。 

主催: 
 NPO法人うぐいすリボン

共催:
 女子現代メディア文化研究会
 表現規制を考える関西の会


後援:
 京都新聞

2016年6月4日土曜日

講演会「日本の著作権はなぜもっと厳しくなるのか」

 2016年6月4日に開催した講演会「日本の著作権はなぜもっと厳しくなるのか」には、図書館や出版の関係者を中心に、約50人の方が参加して下さいました。講師の山田奨治先生と、参加者の皆様に、御礼申し上げます。


演題:
 日本の著作権はなぜもっと厳しくなるのか
講師:
 山田奨治さん (国際日本文化研究センター 教授)



日時:
 2016年6月4日(土) 17時~18時30分
場所:
 キャンパスプラザ京都 第3講義室



内容:
 2016年2月に日米等12カ国が署名したTPPが、日本の著作権制度にどのような変化をもたらすのか、国際日本文化研究センター教授の山田奨治先生に、これまでの著作権問題を巡る背景的な議論も含めて解説をして頂きました。

主催:
 NPO法人うぐいすリボン
共催:
 女子現代メディア文化研究会
 表現規制を考える関西の会
後援:
 株式会社 人文書院


2016年4月19日火曜日

2015年度を振り替えって

 2016年度になりました。
 任意団体時代も含めて、「うぐいすリボン」の活動もいよいよ7年目です。

 2015年度は、TPPによる著作権侵害の非親告罪化と、忘れられる権利、ヘイトスピーチへの対処のあり方を巡る問題、国連関連機関からのマンガ・アニメに対する表現規制勧告への対応に主として取り組んできました。

 2016年度は、与党の部会等で審議中の一連の青少年関連法制の議論が本格化することが予想されます。

 引き続き、うぐいすリボンへのご支援を、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2016年3月16日水曜日

国連機関による報告書二件に関する所見


2016316

本文書は、20163月に国際連合の下部機関より公表された二件の報告書案(CEDAW/C/JPN/CO/7-8およびA/HRC/31/58/Add.1)のうち、日本の表現規制に係る部分についてその見解を要約するとともに一定の所見を示すことを目的とする。 なお筆者は特に国連文書を読むことの訓練を受けているわけではないのであるいは各文書の位置付けや内容等の理解に不適切な点があるかもしれず、その際にはご叱正を乞いたい。


女子差別撤廃委員会報告書

報告書の性格

201637日付けで、女子差別撤廃委員会(CEDAW; Committee on the Elimination on the Discrimination against Women)より「女子差別撤廃条約実施状況第7回及び第8回報告に対する委員会最終見解」の先行未編集版Concluding observations on the combined seventh and eighth periodic reports of Japan (CEDAW/C/JPN/CO/7-8) Advance Unedited Versionが公開された[1]

同委員会は、国連総会により1979年に採択された「女子差別撤廃条約」に基づき、締約国による報告を検討することなどを目的として国連人権理事会が設置した外部専門家の組織である。日本政府は20084月に同委員会に対する第6回報告を行ない、同委員会による検討(consideration; 政府側を含む出席者)を踏まえた最終見解が20098月に公表されている。今回の経緯はこれに続くものであり、日本政府から20149月に提出された報告に基づく検討が20162月に実施されている。本見解は、この報告および検討の内容を踏まえたものと位置付けることができる。

表現規制に関する内容

報告書は、短い序文(23節)に続いて前回報告以降の達成を列挙して評価したのち(45節)、懸念とそれに対する提言(757節)に移る。報告書の本体と評価すべき懸念・提言の部分は、領域ごとにまず懸念事項が表明され、続いて対応が提言されるという構成になっている。このうち、表現規制に大きく関連するのは「ステレオタイプと有害な慣行」Stereotypes and harmful practices2021節)の部分である。

まず20節においては、社会と家庭の双方における男女の役割や責任について、父権制的な態度とステレオタイプが根強く残存していることに委員会が引き続き懸念を示していると表明された上で、特に懸念される点として(a)メディアや教科書類にそのようなステレオタイプが反映しており教育に関する選択や家庭内の男女平等に影響していること、(b)メディアが女性を性の対象とすることを含むステレオタイプ的な描写をしばしば行なうこと、(c)そのようなステレオタイプが女性に対する性的暴力の根本原因となっており、ビデオ・アニメ・マンガが女性に対する性的暴力を促進していること、(d)少数民族や移民女性に対して性差別的な言動が続いていることが挙げられている。

21節では第6回報告の内容を繰り返すとの位置付けで5点の対応が提言されているが、そのうち表現規制を関係が深いものは以下の(b)項である。結論的には一定の規制を及ぼすべきとするものであるが、あくまで表現の効果に焦点を置くものである点には留意する必要がある。
ジェンダーに関する差別的なステレオタイプを悪化させ、女性及び女子に対する性的暴力を強めるポルノグラフィー的成果物、ゲーム及びアニメの生産と頒布を規制(regulate)するため、既存の法的手段とモニター・プログラムを効果的に実現すること。[2]

所見

報告書は、懸念の対象となる創作物について「ポルノグラフィー、テレビゲーム、及びマンガを例とするアニメーション」(pornography, video games and animation such as manga20c)という表現を用いており、表現の形式や手法の違いについて正確な理解に基づく判断であるかどうかについては一定の疑問なしとしない。

しかしながら提言の内容については、第一に性的暴力の悪化という効果に結び付く表現を対象としていること、第二に単純な禁止や(後述する人権理事会報告書のように)芸術的価値のある場合に限って司法過程における免責が与えられるというような「強い原則的禁止」[3]ではなく「規制」とした点についても、関連するさまざまな価値との調整可能性を念頭に置いたものとして評価することができるのではないだろうか。

2009年の第6回報告に対する最終見解において、同委員会は「女性や女児への強姦、集団暴行、ストーカー行為、性的暴行などを内容とするわいせつなテレビゲームや漫画の増加に表れている締約国における性暴力の常態化に懸念を有する」との認識に基づいて「これらのテレビゲームや漫画が「児童買春・児童ポルノ禁止法」の児童ポルノの法的定義に該当しない」ことに懸念を示し、「女性や女児に対する性暴力を常態化させ促進させるような、女性に対する強姦や性暴力を内容とするテレビゲームや漫画の販売を禁止(ban)すること」を強く要請していた(3536節)。今回の提言はそれに対し、より正確な状況理解と法的枠組の判断に基づいて適切な結論に至ったものと考えることができるだろう。


人権理事会報告書

報告書の性格

201633日付けで、国連人権理事会より「日本への訪問調査に関する児童売買、児童買春及び児童ポルノ国連特別報告者報告」の先行編集版Report of the Special Rapporteur on the sale of children, child prostitution and child pornography on her visit to Japan (A/HRC/31/58/Add.1) Advance Edited Versionが公開された[4]

特別報告者は、国連の特別手続きの一種として個別の人権問題に関する調査報告を行なうために人権理事会により任命される外部専門家である。特定の国における人権状況を対象として任命される場合と特定のテーマに関して世界的な状況を対象とする場合があり、20153月の時点で前者は14件、後者は41件が設置されている。「児童売買、児童買春及び児童ポルノ」は後者の一環として1990年に設置され、2014年よりマオド・ド・ブーア=ブキッキオ氏(Ms. Maud de Boer-Buquicchio)。が務めている。ド・ブーア=ブキッキオ氏はオランダ国籍、1969年にライデン大学より欧州共同体法における男女平等をテーマとして博士号を授与され、欧州評議会(Concil of Europe)で長く勤務し2002年から12年まで事務次長を務めた(事務総長には加盟国の政治家が選出されるため、事実上の事務方トップである)。その後、国際NPOである「行方不明・被搾取児童問題国際センター」(ICMEC; International Centre for Missing & Exploited Children)の理事、同じく「ヨーロッパ失踪児童」(Missing Children Europe)の代表を務めている。

本報告は、特別報告者が20151019日から26日にかけて行なった日本への訪問調査の報告であり、事前・事後を含めて収集した情報に基づき特に児童保護政策と立法に焦点を当てたものとされている。

表現規制に関する内容

報告書は大きく、状況の分析(II819節)、問題解決のために取られた対策(III2070節)、結論と提言(IV7174節)という三つの部分に分けられている。

日本の現状については、まず12節から16節において「児童虐待成果物」(child abuse material)としてまとめられている。特に12節においては、情報技術の進歩によって日本で制作された児童虐待成果物が世界的に流通し視聴されるようになっていることが指摘され、「特に、過激な児童ポルノの描写を含む漫画・アニメ・CG・ゲーム(パッケージ・オンラインを含む)[5]といったジャンルにおいて、ヴァーチャルな児童の性的に搾取的な表現の主要な生産者として日本が特定されてきている」と批判されている。また、規制強化にもかかわらず秋葉原などエンターテインメント産業の盛んな地域において児童虐待成果物へのアクセスや購買がなお容易であるとも指摘されている。

これ以外には、13節において「着エロ」(712歳児童の性的に挑発的な姿態の写真その他の成果物)、16節において「リベンジポルノ」に関する言及があるほか、14節で児童ポルノのストリーミングによる視聴が規制されていないこと、15節において詐欺的または強制的な手法によるポルノ制作が問題として指摘されている。

これらの問題への対策として取られてきた手段に関して、特に立法等による対策について20節から29節において検討されている。このうち22節から25節が「『ヴァーチャルな』児童虐待成果物」("virtual" child abuse material)への規制に関するものであり、2014年の児童買春・児童ポルノ禁止法(平成11年法律52号)改正を経ても残された課題として位置付けられている。

22節においては規制に反対する側の意見が要約されている。憲法21条の保障する表現の自由に抵触し得ること、実在しない児童に関する創作は現実の児童に対する被害を含まないし両者の因果関係も証明されていないこと、猥褻物についてはすでに刑法の対象となっておりさらなる規制は警察による捜査の肥大を招き得ること、同法の目的が実在する児童の保護に置かれている点と齟齬すること、またこのような規制が視覚メディアに対する規制強化につながり得る点が日本特有のマンガ・アニメ文化に影響し得るという意見が踏まえられている。
他方23節においては、規制を肯定する側の意見が紹介されている。根拠としては国際人権法における定義がヴァーチャルなものを含んでいる点に加え、マンガ・アニメ・ゲーム等を通じて児童に対する性虐待を許容するような内容が示されることによってそのような行為に対する社会の許容度が上昇してしまうため、現実の加害行為が含まれていないとしても加害が促進されるという主張が挙げられている。

2425節において両者を踏まえた特別報告者の見解が示されているが、規制と表現の自由が対立し得ること、表現の自由が重要であることを認めた上で「powerful and lucrative business」(強力で儲かるビジネス)のために子供の権利が犠牲にされてはならないと主張するものとなっており、国際人権法上の定義を導く根拠として「描写された児童に対する加害を必ずしも含まないとしても、そのような行為に児童が加わることを促したり誘惑したりすることにより、児童虐待を肯定するサブカルチャーの一部を構成する」ことが指摘されている。特に芸術的表現を守るために難しくデリケートなバランスへの考慮が必要なことは認められているが、その点については司法判断に委ねるべきことが提言されている。また、2014年法改正の過程においてヴァーチャルな創作物と現実の加害・被害との関連についての科学的調査が提案されたことについて批判があり、結果的に撤回されたことが紹介されている[6]

以上の認識に基づいた提言が74節にまとめられている。特に関連する部分は以下の通りであり、結論的にはマンガ・アニメ等であっても区別することなく規制の対象にすべきだとの主張であると考えることができる。
bii)明らかに性的な活動を行なっている児童又は主として児童であると描かれている人物のヴァーチャルなイメージ又は表現、及び主に性的な目的における児童の性的部分のあらゆる表現の製造、頒布、提供、販売、アクセス、閲覧、及び所有を犯罪化すること。[7]
biii)児童虐待成果物に関するオンラインでの試聴及びアクセスを犯罪化すること。[8]
biv)「JKサービス」や児童エロチカのように、児童の性的搾取を促進し又は誘導する商業活動を禁止すること。[9]

所見

状況認識や問題の分析枠組に不適切な点はあまり見られない。ただし全体的に「真正児童ポルノ」(本来の児童ポルノ、現実の児童に対する現実の性的加害によって制作されたもの)とその周辺のもの(マンガ・アニメなど非実在児童を対象とする創作物、成人が児童であるかのように演じている「表見児童ポルノ」、「着エロ」のように実在児童が関与しているが低強度の「児童擬似ポルノ」)が区別されておらず、その結果として「秋葉原で(真正)児童ポルノが購入できる」とも理解し得るような不自然な記述が生じている点には注意すべきであろう[10]

この問題は対応の提言にも影響を与えている。前述の通り、本報告は現実の犠牲者が存在しないような表現であってもそのような行為に子供が関与することを促進し、あるいは誘惑されるために使われ得るという観点から(表現の自由に対する配慮を見せつつも)規制を正当化しようとしているが、そのような間接的影響を有し得る表現と直接的な加害を伴う表現との区別は、そのためにかえって曖昧なものとなっている。

たとえば、現実に発生した児童性虐待事件を描写することを通じてその悪質性を社会的に訴えて同種の事件再発を防止しようとの意図に基づく作品を想定しよう。制作者の意図が真摯なものであり、作品が実際にもそのような影響を社会に及ぼすようなものであるとして、しかしその制作過程において十分な同意能力を持たない児童が性描写の対象として利用されてしまうとすればそれは現実の加害であり、このような作品を禁止する根拠を与えるだろう。しかしこの作品があたかも児童に見える成人俳優によって演じられた場合、あるいは現実の児童に対する関連性を持たないマンガ・アニメなどの作品として制作された場合に、同様の根拠が存在するだろうか。

逆に、児童に対する性虐待を勧奨することを目的として、しかしいかなる現実の虐待行為をも伴わず制作された小説が社会に広く普及した結果として多数の虐待事件が現実に生じた場合、これを一定の規制対象としなくてはならないことについての異論は大きくないだろう。ここからわかるのは、現実の児童の性的描写を伴う作品についてはその制作意図を問わず制作手段の不当性を根拠として(その程度について真正児童ポルノ・児童擬似ポルノの差異はあり得るにせよ)規制しなければならないのに対し、それ以外のタイプの作品(表見児童ポルノ、マンガ・アニメ等の非実在描写)についてはその手段を問わず社会的影響への意図と現実の効果がある場合に規制を考慮すべきだという点である。両者は規制の根拠と、従って適切な規制手法を完全に異にしており、両者を区別せずに扱った特別報告者の視点はこの点で失当と評価しなくてはならない。

このような視点に立てば、現実の加害との関係を持たない創作物が、にもかかわらず表現の自由を制約し得るほど強い因果関係を示しているかに関する経験的立証が第一に必要になるであろうし、第二にその関係が事実存在する場合においてもその影響を意図的に強化するような目的のある表現(典型的には推奨・煽動・教唆)に限った規制がまず考慮される必要があるだろう。表現の自由への配慮を特別報告者が示すのであればその保護を単に司法過程に委ねるのではなく、このような類型化を通じて規制自体の適切なあり方を模索すべきであったと考える[11]

また、児童ポルノの定義として国際人権法の諸規定を参照し、「現実の若しくは擬似のあからさまな性的行為を行う児童のあらゆる表現」(国連・児童の権利条約・児童の売買等に関する選択議定書(2000))、あるいは「現実の若しくは擬似のあからさまな性的行為を行う、児童に見える人物の視覚的表現」(児童の性的虐待、性的搾取と児童ポルノに対抗する20111213日の指令(2011/93/EU))といった形でヴァーチャルな児童の描写が含まれていることを根拠としてマンガ・アニメ等を含む創作物への規制を正当化しようとしているが、これらの規定の立法趣旨・立法事実を踏まえたものであるかには疑問が残る。アニメ・マンガ等による児童の性的描写を所持していたことが犯罪として問われた事案において、スウェーデン最高裁判所(2012615日)[12]、オランダ最高裁判所(2013312; ECLI:NL:HR:2013:BY9719)はともにこれらの規定に準拠した国内法に基づきつつ、無罪との判断を下しているからである。特にオランダ最高裁が、同規定が想定していたのは写実的で実写と区別できないような映像、具体的には実在児童をモンタージュ(morphing)することによって作成されたものなどであり、実在児童の描写でないものまで処罰する趣旨かは不明確であるし、そのように理解した場合には言論・情報の自由と抵触すると指摘している点には注意する必要がある。

この点を踏まえ、virtual imagesという用語の意味するところを明確化するとともにその内容について現実の危害との関係から正当化することが、今後の課題として指摘し得るであろう。
以上




[2] Effectively implement existing legal measures and monitoring programmes in order to regulate the production and distribution of pornographic material, video games and animation that exacerbate discriminatory gender stereotypes and reinforce sexual violence against women and girls;
[3] この場合、警察による捜査・検察による訴追の対象にはなるのでそれを懸念する創作者に相当の萎縮効果が生じ得ることは間違いなく、特に日本のように捜査・訴追段階において実名報道が為されるなど社会的に強い悪影響が生じ得る社会においては大きな問題となり得ることにも留意すべきだろう。
[5] video and online gamesという英文表現をやや意訳した。
[6] 国際人権法上の定義については、以下が参照されている。Optional Protocol to the Convention on the Rights of the Child on the sale of children, child prostitution and child pornography, art. 2(c); Council of Europe Convention on Cybercrime, art. 9.2 c; Council of Europe Convention on the Protection of Children against Sexual Exploitation and Sexual Abuse, art. 20.2; and A/HRC/12/23, para. 124 (b) (iii).
[7] Criminalize the production, distribution, dissemination, offering, selling, accessing, viewing and possession of virtual images and representation of children or persons predominantly depicted as children engaged in explicit sexual activities or any representation of the sexual parts of a child for primarily sexual purposes;
[8] Criminalize the online viewing and accessing of child abuse material;
[9] Ban commercial activities that facilitate or lead to the sexual exploitation of children, such as "JK services" and child erotica;
[10] 真正児童ポルノとそれに関連する周辺類型については、大屋雄裕「児童ポルノ規制への根拠:危害・不快・自己決定」園田寿・曽我部真裕(編)『改正児童ポルノ禁止法を考える』日本評論社、2014/10pp. 103-114の区分を用いた。
[11] また、解決を司法過程に委ねること自体が特に日本のような社会において強い萎縮効果を招きかねない点については、前掲脚注3においてすでに指摘した通りである。
[12] 詳細については参照、井樋三枝子「スウェーデン最高裁における非実在児童ポルノ所持無罪判決」『外国の立法』255号(2013.3)、pp. 211-228

2016年3月3日木曜日

「大阪市ヘイトスピーチ対処条例 解説講演会」


 3月3日に開催した「大阪市ヘイトスピーチ抑止条例解説講演会」にご参加下さった皆様と、講師の毛利透先生に御礼を申し上げます。


演題: 
 大阪市ヘイトスピーチ対処条例 解説講演会 

講師: 
 毛利透さん (京都大学法学部 教授) 
日時: 
 2016年3月3日(木) 14時~15時30分 
場所: 
 参議院議員会館 101会議室 


内容: 
 2016年1月に成立した「大阪市ヘイトスピーチ対処条例」について、大阪市の方策検討部会の委員として報告作成等に携わった京都大学法学部教授(憲法学)の毛利透さんをお招きして、条例検討のプロセスや、定義の絞り込み等の技術的な側面までを、特に表現の自由の保障との調整の部分を中心として解説して頂きました。 




 また、当日は、参議院法務委員会の与党筆頭理事の西田昌司議員と、野党筆頭理事の有田芳生議員にも御臨席を賜り、活発な議論が交わされたことを、大変嬉しく思っております。







(写真提供:永山薫)



■ 参考

2016年1月10日日曜日

なぜ過激なマンガを禁止することは児童保護へとつながらないのか

 米国コミック弁護基金(CBLDF)事務局長のチャールズ・ブラウンスタイン氏の意見書「なぜ過激なマンガを禁止することは児童保護へとつながらないのか」の邦訳を掲載します。

 この意見書は、国連人権理事会 児童ポルノ問題特別報告者のマオド・ド・ブーア=ブキッキオ氏による「過激なマンガの禁止」の提言に対する反論意見として、2015年12月16日にCBLDFの公式ブログに掲載されたものです。

原文: Why Banning Extreme Manga Fails To Protect Children

 ブラウンスタイン事務局長からは、「日本の皆様が、この意見書に興味を持って下さったことに、感謝を申し上げます。日本語訳の公開を、大変光栄に思います」とのコメントが寄せられています。

 




2015年12月16日
チャールズ・ブラウンスタイン
(米国コミック弁護基金 事務局長)

漫画は犯罪ではない

 最近のマスコミ報道は、国連特別報告者マオド・ド・ブーア=ブキッキオ氏が、子供の性的虐待を食い止めるための日本への提案として「国が過激な児童ポルノを含む漫画を禁止すべきだ」と言及している点を強調していた。この提案は誤って解釈され、残念なことに彼女の価値ある努力 —実際の児童への虐待や搾取を終わらせる— という、より大きな実体から注意をそらす結果となった。

 ガーディアンやストレーツ・タイムズを含めたマスコミの報道を見ると、彼女の提案の大部分は漫画という観点の下に埋もれてしまっている。これは本当に残念である。表現内容に重点が移り、実存する被害者に対して影響を及ぼしている犯罪行為からは離れてしまっているからである。昨年、日本がついに—そして正当に—児童ポルノ所有者を起訴するためのこれまで延び延びになっていた法令を通過させ、児童への性的虐待の抑制に対し大きく前進していることをド・ブーア=ブキッキオ氏は認めている。しかし、この国にはいまだ長い道のりが残されている。ド・ブーア=ブキッキオ氏は国連報告書による批判の中で次のように指摘している。

・告訴が被害児童により行われない限り、虐待を調査、起訴する法の実施には消極的である。

・犯罪者に対しての刑罰が軽い。

・被害児童に対する適切な補助が不足している。

 上記の指摘とその他の重大な弱点が報告書内で特定されており、ここでこの報告書全体を読み解く価値が十分にある。残念なことに、表現内容を抑制すべきという提案を含めた事によって「描かれたファンタジー創造物」というテーマ周辺にマスメディアの関心を導いてしまい、実際の児童の搾取の過酷さや、それに対抗する日本の法律の構造的欠陥という問題から注意をそらす結果になってしまった。

 ド・ブーア=ブキッキオ氏は、この問題とバランスをとるべき表現の自由の問題がある点を認識しており、これに言及している。「私は成人のポルノに関して、という話であれば、表現の自由に関する議論の方が優勢であるし、重要だと認めます。」行き過ぎた表現内容を禁止すべきと彼女が要求したことの問題の一つは、「実際の犯罪行為の証拠写真」と、「描かれたイメージ」を同等に扱う間違いを犯していることである。もう一つは、小さくかわいらしいアートの表現手法や、「カワイイ」もの、可愛らしさを強調する日本文化の結果として、多くの漫画が「若年のキャラクターを描写しているかのように」西洋人の目には見えることである。

 しかし日本人にとって最も厄介な問題は、日本の法執行機関が表現芸術に対して専断的に起訴を執行する傾向がある、という点である。そのケースの一つがコアマガジン社の編集者たちの逮捕である。我々は、2013年にコアマガジン社の編集者3人が、日本のわいせつに関する法令の下で以前は認められていた範囲内の物品を押収された上にわいせつ図画頒布容疑で逮捕、起訴された件について報じた。コアマガジン社の編集者にとって起訴は突然の思いがけない出来事であり、有罪答弁を編集者たちが受け入れるという結果につながった。またこの起訴は、主流の出版業者や二次創作の同人出版の間で自己検閲の波が広く伝わる結果へとつながった。

 警察がコンテンツ関連の違反起訴に対し、公正明大さや透明性を重んじる姿勢を示していないことで、日本に於ける新しい規制は顕著な脆弱性を生み、自己検閲の方向へと推し進めることになるだろう。日本がド・ブーア=ブキッキオ氏の提案を受け入れることになった場合、より専断的な起訴が起こる可能性が高い。

 アメリカの読者は、なぜ非常に性的なコミックの内容、特に児童を描写している内容に対して反対する重要性があるのか問うてきた。こうしたコンテンツの内容はしばしばタブーに背き、非常に嫌悪を催す不快なものであるが、さまざまな理由からこれらを擁護する価値はある。

 第一に、コミックを告訴しても実際の児童性犯罪の被害者を保護しているわけではない点である。児童ポルノの定義に基づけば児童ポルノとは実在する人が性的虐待に巻き込まれた際の犯罪の写真証拠を指す。北米では、表現内容に関して起訴された人たちのいくつかの事例において、実際の犯罪行為も児童への虐待傾向もなかったことが明らかになったが、当局は未だに実際の虐待被害者ではなくそうした人たちを起訴することにリソースを割いている。誤った優先順位によって虐待被害者を保護すべき法行使のリソースがそらされ、結果的に実存する児童達を傷つけている。日本に関して言うならば、児童虐待防止法における著しい落ち度を正す努力を強化する代わりに内容検閲をさらに強化することを容認する事態になれば、虐待問題を解決する、というより緊急性の高い問題から焦点がそらされている、と言わざるをえない。

 第二に、欧米の道徳規範はグローバルなものではない点である。アメリカでは性的な内容を持つコンテンツはその大部分が写真の形で提供され、独創性や想像力を介さず内容を即物的に受け止める、描写内容と対象題材が直結するメディアである。18歳を超えた年齢のモデル達による写真により表現されたものであると指摘可能な事例であるならば、我々はこれら未成年者の性を扱うファンタジーの表現に対して法的、あるいは多くの場合、文化的な反対を唱えはしない。そのような例を探すのは難しいものではなく、ベアリー・リーガル・マガジンの毎号の内容を考えればいい。我々が反発するのは、これと全く同じファンタジーを「描いて」表現した際に、その対象が未成年に見える場合である。これは、写真の場合には実際に人物が参加しており、絵の場合には人物が参加していないという事実にもかかわらず、起こる問題である。

 日本では、状況が正反対に近い。性的な写真コンテンツも存在するが、性的な描写を持つ絵によるコンテンツの方がはるかに多く存在する。これは私が知的自由と漫画についての文化交流に参加するため東京に滞在していた時、性的に露骨な描写の内容を持つあらゆる漫画が一般的な大型書店で公然と販売され、普通の大人たちが購買していたことを目の当たりにしたため、事実である。実際、初めて新宿の官庁街近くにある漫画書店の紀伊國屋書店アドホックへ行った時、私は目を見張った。5階まであるこの漫画書店のうち、最上階は男性向け成人漫画専門、4階には女性向け成人漫画専門フロアとなっており、各階ではこれらの漫画が展示販売され、閲覧者に安全な場所であるよう職員が配置されていた。ディスプレイの仕方には、通常アメリカで同様のコンテンツを販売している小売業者に共通して見られる恥の目やいかがわしさは見られない。両方の売り場にあるコンテンツの被写体は、アメリカ人が写真や即物的な形で消費する性的な内容とそれほどひどく異なるものではなかった。しかしそうは言っても、描写によるコンテンツという性質から、写真手法で表すことのできる性的なコンテンツよりも多彩で想像的な種類の内容を生み出しており、欧米人が漫画に異議をとなえる多くの問題へとつながっている。

 この点は、我々を第三の問題へと導くものであり、おそらく最も重要な点である:「罪を犯す物語の表現」や「その消費」は、「実際に犯罪行為を行う衝動」と同じではない。これはアメリカでは確かめられた事実である。ベストセラーとなっているポルノコンテンツの内容や最も人気のあるポルノ関連検索用語と、それを消費する人々のセックスライフを比較すると、確かにそこには実生活上の行動と符合するものがほとんどないことに気付くだろう。これは日本でも同じ事実である。

 日本の漫画の性的表現に対して欧米人の判断を課した場合、しばしばその内容、製作者、消費者にまつわる微妙な意味合いを斟酌するのに失敗する。おそらく日本訪問で私が最も驚いたのは、「レディースデイ」にコミックマーケットへ行き、適切な事例を得たことである。「コミケ」の名で知られているコミックマーケットは、1年に2回、3日間にわたり行われる同人誌、自費出版漫画の巨大なお祭りである。1日に20万人前後がコミックマーケットに参加し、日ごとに出品者が異なる。3日間で35000の同人誌サークル—1人のクリエーターによるものから大勢のクリエーターの集まりによるものまで、数多くの出版者たち—が自費出版商品を陳列する。幅広い内容のものが販売され、ブランド化した人気漫画の模倣からオリジナルストーリーもの、大衆文化の様相に関するファン雑誌、そしてもちろん、非常に露骨な性描写のあるもの。私がコミットマーケットへ訪れた時、レディースデイ、メンズデイ、「よろずの」デイがあり、それぞれの日の出品者はこうした非常に幅広い読者グループに向けたコンテンツを販売していた。

 レディースデイに私がホールを歩いていると、ド・ブーア=ブキッキオ氏ならば児童ポルノ—幼い女の子が性行為におよぶファンタジーで、中には非常に年老いた男性を含むものもある—とみなすであろう内容のコンテンツを陳列する数列の並びに入り込んだ。それは、もし我々の事例の一つとして直面していたならば、私は顔をしかめつつもロバート・クラムが振りかざす不滅の屁理屈「それは紙に描かれた単なる線の集まりですよ、皆さん!」を引き合いに出し、防御に入ったであろう類のものだった。しかしとても啓発的だったのは、これらのコミックがたいていごく普通の、中年から年配の女性により販売されていたことである。これらのコミックの内容を知り、その著者と話をすると、これらのストーリーが犯罪行為や虐待を行う誘発要因でないことは明らかで、著者や読者の想像上の人生を反映させ、ファンタジーやロールプレイングの一形態として表現されたものだったのである。

 漫画は想像力のための安全な空間として機能している。漫画の形をとることで声を発する幅広い種類の性的なファンタジーが現に存在し、中には疑う余地もなく不穏で不快なものもある。しかしそれらは現実ではなく、実在する人々を傷つけているわけではない。こうした漫画の創作と消費に対して法的なリソースを割いたとしても、実在する人々を保護する手助けにはならない。そしてド・ブーア=ブキッキオ氏が指摘するように、保護を必要とする人々が実在する。残念なことに、メディアの話題はそうした人々に焦点を置いていなかった。漫画に焦点を置いていたのだ。それは危険にさらされている実在の人々を助けることから注意をそらす、残念な成り行きである。