「バーチャルアバター・キャラクターをめぐる人格的権利の整理」
Vtuber等の人格的権利と、表現の自由の関係について、静岡大学の原田伸一朗先生に整理をして頂きました。誹謗中傷やなりすましの問題から、運営会社や絵描きと中の人が対立した場合の権利関係についてまで、様々な可能性を理論的に検討した報告となっています。
中華人民共和国政府が、相次いでコンテンツ産業の規制を打ち出したことが報じられ、話題となっています。一連の動きの背景について、戦略科学の観点から中国政府の政策分析を行っている中川幸司さん (中国人民大学客員研究員) に解説をして頂きました。
中川幸司 (中国人民大学客員研究員)
ゲームは「精神的アヘン」、未成年は毎週3時間までのプレイ時間制限。民間学習塾の営利ビジネス禁止。「推しメン」購買消費の禁止。エンタメ業界スターらの政治スタンス厳格化等々。これらはチャイナ当局から直近1,2ヶ月で矢継ぎ早に振り下ろされた規制の一部です(本原稿は2021年9月初旬に書かれています。)。エンタメや教育などの幅広いジャンルのソフトウェアビジネスが今般の「紅い鉄槌」の餌食になりました。自由な思想・家庭内文化を打ち砕くかのごとく、連続コンボで振り下ろされる鉄槌に人民はビックリ、世界もビックリしています。「文革の再来か!」とも揶揄される事態。今回はこれら一連の件について、北京中央の意図を考察してみたいと思います。
【※お知らせ※】今般発生している数々の規制の本質を見誤らないように、北京中央の思考をエミュレーションしてあります。最大の枠である彼らの超長期戦略から、だんだん噛み砕いて今般の規制問題にたどり着く文書構成になってますので、全文読むのがめんどくさい方は、最後の「4」と「5」だけで良いと思います。そこは各論です。
1、チャイナが忌避する制御できない米国
2021年7月に中国共産党結党100周年イベントが盛大に行われ、国内外に向けた習近平演説がありました。日本国内では、習氏は両岸関係に強く言及していて台湾周辺・南シナ一帯は軍事的に一触即発の状況である、というような過激な言論も散見されましたが、実際には党の歴史を長々と語った演説のごく一部で通常レベルの両岸関係に言及にしたにすぎませんでした。思いのほか穏便な内容だった、という評価が適正なように僕は考えます。
今般話題になっているチャイナ内政考察の前に、現在のチャイナがおかれている外交関係をさらっと確認しておきましょう。末端のニュースをチェックするにあたっても、上位次元からの視点が重要です。外交要素は少なからず内政に影響を与えます。とりわけ米中対立は国際情勢全般とともにチャイナ内政にも大きな影響を与えます。言うまでもなく、米中対立の当事者国であるチャイナとしても、米国との関係性を外交上最大限に重視しています。
老舗の超大国米国にとって、その対中姿勢というのは絶対的な最大の外交課題ではないかもしれませんが、これから覇権国家を目指す新参大国チャイナにとっては、その対米姿勢は最優先で最大レベルに資源が投下される外交課題になっています。
チャイナが「米国」を強く意識する根源的動機を考えてみましょう。チャイナを管轄する中共にとって一番忌避すべき事象は自らの組織継続性を脅かしかねない不確実性です。党統治に対して、党そのものの存在に対して、党がコントロール不能なレベルの影響を与えてくるかもしれないダントツに強力な表出化勢力は米国だからです。言い換えれば、米国以外は宗教、民族、多国籍企業もディール・マネージ可能といったスタンスです。
ですから「2つの百年」のうちのひとつである中華人民共和国建国100周年の2049年までに米国を凌駕するパワーを得るということが、チャイナの絶対目標としてセットされているわけです(もうひとつは2021年の中国共産党結党100年でした)。米国、米国、米国、そして米国なのであります。
しかし、現在は多くの領域で遥かに米国の方がチャイナよりも強力ですので、今すぐに米国に対し本格的にチャレンジすることは控えるという行動抑制的な動機がチャイナにはあります。統治メカニズム、軍事、産業経済、マネー、文化、学術といった中から多くの主要領域で、チャイナが米国のパワーを上回った時に、米国に対して本格的なチャレンジとディールを仕掛けることでしょう。普通選挙の無いメリットを最大限に活かした、時間を味方につけた最も損失の少ない米国との対峙テクニックです。
これをもって、「闘いません、勝つまでは。」というチャイナの今世紀半ばまでの長期ビジョンが見えてきます。これがチャイナの対米対峙スタンスの大原則です。
2、党が規定する中期「内循環」甲羅モード
結党100周年フェスに話を戻します。このビッグイベントは、新型コロナ禍の2020年前半、米国トランプ政権が劇場型短期ハードパンチで国際世論を牽引することで世界から反中感情+対中制裁熱が高まった2020年通年、米国バイデン政権発足による民主党的外交戦略回帰となった2021年前半、という大きな流れがありまして、それらが米中の外交ポジションを規定する環境を経て実施されたものでした。
チャイナ側が2020年からの国際環境をどうとらえて、近未来にどのように動いていくべきと考えたのかは、2020年10月に開催された五中全会(中国共産党第19期中央委員会第5回全体会議: 10月26日から29日開催)で公表された「十四五(第14次五ヵ年計画2021-2025)」と「2035年までの長期目標」に反映されています。時系列的に五中全会時点では、次期米国大統領が決定していなかったものではありますが、米国がいかなる政権になろうとも、トランプ政権時に一度強硬な対中政策に転換したことは継続されるだろうという考えがこれらの中長期計画に反映されたものになっていました。
五中全会直後にバイデン候補の勝利が確定しました。チャイナ側は、民主党議会とバイデン政権による米国は、「今後どうなるかわからない」といった見方が大勢を占めていたように思われます。「わからない」というのはバイデン政権の対中姿勢が予測できないのではなくて、バイデン政権が外交や内政で広範に失敗する可能性が十分にあって、次の米国政治が民主党政権であるのか見通せないという意味です。
トランプ政権のような短期で劇場型の対中強硬策であれば、チャイナ側は「等価報復の原則」に従って、報復措置をとるだけで済みました。3を打たれれば、1でも5でもなく、3の報復措置をやるだけでした。チャイナにとってラッキーだったのは。トランプ政権に米国一国主義傾向があったからです。「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン。」
米国のパリ協定からの脱退を始めとして、新コロ禍で米国がWHO脱退宣言をすればすぐさまチャイナがWHOへの寄附を表明して発言力を高めようとするなど、ひとつひとつ米国が抜けたところの穴埋めをする作戦をとっていました。その意味では、短期では香港市民弾圧や新疆ウイグル自治区人権弾圧疑義、新コロ起源疑義を始めとした「反中」喧伝、ファーウェイ通信インフラ排除、半導体領域における経済安全保障デカップリングなど多くの短期的な外交と産業での痛手をくらったものの、実はチャイナにとってはトランプ政権時代は長期的には外交力を高めるのに好都合な時期でした。米国が一国主義を行動に移せば、チャイナが多国間協調で外交得点を稼ぐという構図です。
一方で、バイデン政権は米国民主党政権の旧来的な「兵站」を伸ばした対中強硬外交戦略になることは予想されていました。これはチャイナが展開してきた多国間協調とバッティングしますので、チャイナにとって同じ土俵で闘うには不利になります。米国による国際協調とチャイナによる国際協調が同時に展開されれば、現時点では先進国は米国になびくわけでして、チャイナにとって分が悪いわけです。チャイナ側は、不利なだけであればそのバイデン政権の期間を耐えればよいだけということになりますが、問題はバイデン政権の支持率が下がり次期大統領選で大きく揺り戻しがあって、ネオトランプのような強力な共和党大統領と対中強硬な共和党主導の議会になることでした。これがチャイナにとって不都合だけれども可能性ある悲観シナリオだったわけです。
そこで、チャイナは十四五でも、「内循環を主軸にした、外循環をあわせた双循環」という概念を持ち出しました。
端的にいえば、次の5年間は「Go Global」といった対外積極投資姿勢のイケイケどんどん経済政策ではなくて、内需やサプライチェーンを健全に育てて、手を付けるのが困難だった国有企業財政問題解決、地方政府財政問題解決などで、国内の産業経済の膿を出して足腰を鍛えようというものです。外向きへのリソース展開してきたために、色々と国内のマネー・産業経済に問題も生じたので、ちょうど米国の次の政権がどうなるかわらかない不確実な状況だから、これからの5年は2020年代後半から再度米国と対峙していくために国内問題に確実に取り組んで解決していきましょう、というスタンスです。
この外交関係から導かれる、「内循環」甲羅モードによる強い内政引き締め意志が、今般の教育・エンタメ産業等の「紅い鉄槌」へと繋がってくることになります。
3、甲羅モード期間中の「紅い鉄槌」
「内循環」甲羅モードでは、チャイナ外の一帯一路構想下でのインフラ投資プロジェクトが一時停止になるなど様々な影響が出始めています。例えばチャイナと欧州をつなぐ中間位置にある中東欧とチャイナの「17+1」協力もプロジェクト凍結が見え始め、中東欧国家が非常に消極的になってきています。ある意味では、チャイナによる「能動的消極転換」ともいえます。かといって、チャイナにとってもこの外交フレームを壊す必要もないので、そこそこのメンテナンスコストを投じて錆びつかないように、塩漬けにしておいて、何らかの機会が再来したときに復活させる算段かもしれません。
「内循環」甲羅モードは、言い換えれば外交力を落として、内政を充実させるという資源分配です。
内政においては、産業調整が顕著に現れ始めることになります。
2020五中全会後の甲羅モードの肝(党の意志)は内政の足腰を鍛えることですから、外交に回されていた各種資源が、徹底的に国内経済の膿を出し、産業の効率化を目指して、庶民生活と社会統治の安定性を保つための補修材料資源として使われます。
対外インフラ投資の突然途中ストップで、悲鳴をあげるチャイナ受託企業も現地政府・企業に対しても「キミたちがどうなろうと知らんがな」と言わんばかりの方針転換です。さすがチャイナ、ヒドい、冷徹です。ビジネスはサイコパスほど強い局面がある、などと一般的に言われたりもしますが、チャイナの産業経済政策は、サイコパスなワンマン社長のキったハった経営を見ているようです。
2020年11月に予定されていたアリババ系のアントファイナンスグループの大型上場案件が当局の意向によって、その直前の11月3日延期となりました。今から振り返れば、甲羅モード期間の初鉄槌でした。鉄槌前の10月にグループ創業者ジャックマー会長が当局に楯突いたことで発生した舌禍事件とも揶揄されますが、実際にはそんな属人的かつ単純なものではなく、長年にわたる金融産業とテック産業のオーバーラップした事業領域の調整だと僕は構造論的にとらえます。
チャイナのフィンテック分野の事業は、規制ガチガチの金融産業主導ではなく、テック産業にグレーな規制のまま開拓をさせたことによって、成長させてきたという側面があります。フィンテックは怪しいから半グレの民間テック企業どもにやらせとけ、的な。
今ではこの「官製アナーキズム」の恩恵をうけて、テック産業が積極投資をおこなってグレーな線引きのまま巨大なフィンテック事業に育ちました。金融産業からすれば自分たちの領域を侵され続けていましたので、改めてフィンテック分野の調整(大ボスが介入してシマを分ける)としてテック産業に強権発動の「紅い鉄槌」が振りかざされたものだと考えます。
もちろんここにおいて、当局は金融産業もテック産業も潰すような意向はありません。当局の差配による調整を経て共同的に国内外でフィンテックを成長させよう、という意図です。とはいえ、突然の強権発動に国内外の投資家も含め市場は冷や汗をかきました。まさに「強権アナーキー混合経済」です。日本国内では、「市場を冷やすなんて習近平はアタマ悪い」などという言論もありましたが、その冷え込みも織り込んで別の利を得る計算をするのがチャイナであります(アタマ悪い強権だから脅威なのではなく、強かな計算での強権だから脅威なのです。)。
その他にも、紅い鉄槌は、データ安全保障に関わるテック企業(既存の2017年からのサイバーセキュリティ法に続いて2021年9月1日施行のデータ安全法での規制。例:米国にビッグーデータを流してしまった配車アプリ「滴滴出行(DiDi)」など)に対するものがありました。
また、不良債権処理受け皿となっているメガ国有企業の中国華融資産管理については、金融システムに対する鉄槌は振りかざされることはなく救済措置がとられて多重債務を抱える国有企業らが生き残ってしまいました。しかし、こちらは「紅いすり鉢」といえばよいか、今後、十四五期間中に小さくジリジリと潰していき、甲羅モード期間中に金融システム・国有企業・地方政府財政の膿を出していく算段なのだろうと考えています。
4、教育産業とエンタメ産業への紅い鉄槌
さて、ついに本題です。将来的な米国覇権にチャレンジするための、直前の踊り場としてこの甲羅モード期間=5年間(十四五期間)が紅い鉄槌を振りかざしまくるフェーズであるというのが僕の考えです。甲羅モード期間でなければ、問題は先送りにされて、こんなにハレーションの多い内政課題に本腰を入れて取り組むことはなかった(できなかった)でしょう。強権的な施策が、社会実験も兼ねて飛び出してきます。
前述の金融(国有企業改革、多重債務処理)やテック(フィンテックとデータ安全保障)領域とは異なった文脈での鉄槌が、人口構造に対する施策です。すなわち超高齢社会による財政破綻を是正するための措置です。これまで習近平政権が発足マルマル2期(10年目に突入)を経ても、着手できなかった領域にようやく入ってきたもので、その意味では教育産業やエンタメ産業の規制は「実は突然ではない」ものです。ましてや、政策対立ではなく過去の属人的政局対立を演繹した「文革再来論」は解像度が浅いものと言えるでしょう。
年金基金は近未来に破綻状態であることはずっと言われてきましたが、これを是正するためには人口構造を変化させて働ける現役世代の人口を厚くしなければなりません。いわゆる「一人っ子政策」による抑制も今は昔、2016年には2人っ子が全面解禁され、現在は3人っ子、言い換えれば多産奨励政策に切り替わっています。出産が少なければ年金基金が破綻し、それでは多産奨励しようかといえば出産保険と出産手当(間接的には出産休暇制度や公的インフラ建設のコスト)といった家庭福祉支出での政府財政への逼迫があります。まさに、日本が抱える出産育児の公的支援問題と同じです。無い袖は振れぬ、と。
しかしながら、「政策による少子化」から「意欲による少子化」に変化していることが、当局にとってはマネージできない壁として立ちはだかりました。
2020年に実施された第7回全国国勢調査の合計特殊出生率で「1.3」でした(基準日は11月1日。その前の第6回は2010年に実施)。実はその事前予測は1.8だったので、「意欲による少子化」の影響が甚大であることを当局が悟ったのは、つい最近のことだというのがわかると思います。オーマイガ。ここから当局上層部の冷徹な合理化マシーンが、「うーむ。それならば…。ワレワレが人民を領導し多産に関与しなければ国家は破綻する。」と計算しだしたわけです。
そこから怒涛の紅い鉄槌劇場が始まります。多産を奨励し出産から育児そして未成年の教育までを「官」が道を作って指導するという「育児と教育の社会化」です。
まず口火をきったのが「双減文件」による、学習負担軽減のお触れ。宿題軽減や塾禁止など多岐にわたるもので、インパクトがあったのは巨大なビジネスへと成長した教育産業の営利事業に対して事実上のNGが出されたことでした。7月23日と翌市場営業日26日の2日間だけで、教育関連上場企業あわせて市場価値2000億人民元(約3.4兆円)が失われています。閉鎖、倒産の嵐です。
なぜ教育産業はダメと当局が判断したかというと、過度な教育投資環境がバブルの様相で継続的に発生し、都市中間所得層が経済余力の限界を理由に複数の子どもを生むことに意欲を失うという考えです。これを是正するために、民間教育ビジネスによって高くなってしまった教育費を強制的に下げようという発想で教育産業規制につながります。日本のSNSでも「SAPIXの高額授業料で、タワマン住人なのに生活が辛い…」といった話がやり玉に上がっていましたが、バブル化する教育投資は少子化の一因になっていて、それを解消すれば多産になるかも、というのは仮説としては十分に納得いくでしょう。自由な民間ビジネスや教育をさせる権利を強制的に奪うチャイナの私権制限は独特すぎて、急にはついて行けないものなのでありますが。
8月初旬には、ゲームは「精神的アヘン」である、と国営プロパガンダメディアで批判されました(後に、記事自体は撤回されています)。エンタメコンテンツプラットフォーマー最大手のテンセントはそれに対応し、ゲームプレイ時間の自粛を発表しました。しかし、これでは当局の要求水準に達しなかったようで、8月30日にはコンテンツ産業を管轄する国家新聞出版署からネットゲームサービスを提供する企業に対し、未成年のオンラインゲームプレイ時間を毎週金・土・日と祝日の20時から21時の1時間のみに制限せよ、というお達しがついに出てしまうのでした。ペアレンタル・コントロールの亜種ですが、毎週わずか3時間はキツイですね。
ファン経済については、8月27日にインターネット情報弁公室が、9月2日に国家広播電視総局がそれぞれ違った角度から「推し活」を中心とした様々な過度ファン活動を禁止しています。
エンタメ業界のビジネス全般を冷やし、将来の投資熱まで過冷却してしまうほどの今回のお触れについて当局の真意は測りかねるものの、ソシャゲやファン活といった青天井課金システムが発展したエンタメにのめり込んでしまう未成年がいると、ひとりの子供の「生活費」として家庭のコスト増につながり家庭の多産の障害要因となりうること、将来的な婚姻から出産につながる自由恋愛を妨げることなどは理由にあげられる筈です。
9月8日に中央宣伝部から発表された女性っぽい男性はアウト、といったBL規制(※一般論として、LGBTQであることはチャイナでは違法ではありません。)については、直接的に多産につながる男女の恋愛を阻害する概念であるということが忌避された可能性と、エンタメの一環として無駄なコスト増につながると判断された可能性の2要素が重なるものです。
確かに、経済学者ヴェブレンの「顕示的消費」を鑑みれば、こうしたロジックは成立します。親は他の家庭に負けないように教育投資に熱を上げてしまい、未成年は別のプレーヤーやファンに負けじと射幸心を煽られコンテンツ投資をしてしまいます。マクロ経済ではなく、ミクロな事業領域においてもバブル経済が発生してしまうのでこれを統制していくという手法は、中国では国家発展改革委員が担当してきました。兎にも角にも、バブったエンタメ事業領域についても官が徹底的に介入するという姿勢への転換です。
5、チャイナが負担してくれるトンデモ社会実験コスト
実はチャイナの育児保育サービスは、中華人民共和国が建国され社会がそこそこ安定していた間は、改革開放が社会浸透する1990年代前まで社会化されていたものですが、自由経済を導入するにあたって「育児と教育の家庭化」が進みました。
今般の方針転換はイデオロギーに基づいた社会化への回帰というよりも、より未来志向の経済的調整をロジックとした社会化ですので、「回帰」という表現は正しくないように思われます。
「意欲による少子化」という人口構造問題の最大要因は判明しているものの、自由民主主義国家が踏み入ることのできなかった各家庭問題への介入を、チャイナは強権発動で開始しました。原理的な社会主義イデオロギー回帰とは異なった、「育児と教育の社会化」への経済合理性ベースでの社会実験です。
チャイナが犠牲(コスト)を払って社会実験してくれてるものなので、もしその施策のひとつでもうまくいくものがあるのであれば、我々自由民主主義陣営はそれを研究しても良いでしょう。採用するかどうかはまた別の問題として、ではありますが。
人民の多大なる犠牲を経て、この施策が今後どうなるのか大変興味深いものです。
本当に多産につながるのか。(つながらないで失敗するのか。)
射幸心を煽った退廃的ビジネスと化したエンタメだけが削ぎ落とされ、その他の細分化されたエンタメとサブカルは残っていくのか。(規制アクセル踏み込み過ぎてあらゆるエンタメが壊滅してしまうのか。)
それから、皆さん気になるところだと思いますが、これらの施策によって、教育とエンタメ規制は多くの人民に不満をためます。親も子どもも嫌な人多い筈ですよね。どう勉強すればよいの?どう遊べばいいの?と。これまでお金で勉強とエンタメを買っていたわけですから。
富裕層は国外に飛んでこれらの規制を逃れます。そこで、昨今は富裕層未満の所得階層を満足させるために、「共同富裕」という大政策も発表され、大手プラットフォーマーなどが当局から1社単独で1.7兆円(!!)を寄付させられる(ショバ代をカツアゲされる)ことになるなど、大衆人民への飴も忘れてはいません。本文では詳細は語りませんが、目下、習近平指導部2期目の最後で、前例無き3期目連続を狙うに当たって、トリッキーな飴と鞭が矢継ぎ早に展開されていて面白いところです。
党として外交ポジションニングの数十年単位の戦略を描きながら、GDP100兆元(1700兆円)を超えたチャイナを支配する習近平指導部が、短中期の位置づけとして今後5年、10年で展開する施策は大変興味深いとも言えます。チャイナに関しては、いま発生している個別の規制だけみても「なにこれ?」となりますので、彼らの長期戦略からみていくことが重要です。
我々ができないような高コストな社会実験をやってくれるので、政策アイディアとして眺めると学ぶところも多い紅いピタゴラスイッチです。
中川コージ(なかがわ こーじ)
1980年埼玉県生まれ。埼玉県立熊谷高等学校、慶應義塾大学商学部を卒業後、北京大学大学院光華管理学院戦略管理系国際経営戦略管理学科博士課程修了。経営学博士。英国留学、中国留学を経て、中国人民大学国際事務研究所客員研究員、デジタルハリウッド大学大学院特任教授を歴任し、2017年より『月刊中国ニュース』に携わる。同誌副編集長、編集長を経て、2021年より外部監修。家業経営と同時に複数企業の顧問・戦略コンサル業務に携わるかたわら、日本人初となる北京大学からの経営学博士号を取得した異色の経歴を持つ自称「マッドサイエンティスト」として、テレビ朝日系列『朝まで生テレビ! 』で地上波デビュー。ラジオ、ネット番組の出演も多数。現在はYouTube発信にも力を入れている。著書に『巨大中国を動かす紅い方程式』(徳間書店)、『デジタル人民元 - 紅いチャイナのマネー覇権構想』 (ワニブックスPLUS新書)。
ホラー小説「ヘンゼルとグレーテル」が児童ポルノ犯罪に問われた事件で、2020年9月24日にケベック州上級裁判所は、カナダ刑法の児童ポルノ条項の一部を違憲無効と判断をして、無罪判決を言い渡しました。推奨・教唆をしない文章を児童ポルノ犯罪とすることは表現の自由を侵害すること、また、そのような理由で小説家が児童ポルノ犯罪者として法的・社会的制裁を受けることが適正手続保障の権利を侵害することなどが理由して挙げられました。
この判決の後、検察側は、個別事件の無罪判断については受け入れた上で、法令違憲の判断についてのみをカナダ連邦最高裁判所に上告して争うという判断をしました。
事件の事実関係に関心のある方からのお問い合わせが多かったため、判決の事実認定と結論部分の仮訳を公開します。法的判断の要旨については、こちらの解説記事をご覧ください。
2020 QCCS 2967
ケベック州上級裁判所 2020年9月24日 判決
リシュリュー区 マーク・アンドレ・ブランシャール裁判官
[1] 被告人Yvan Godboutは、刑法163.1 条 (2)項に反し、2016年11月1日から2019年2月19日にかけて、児童ポルノに該当するコンテンツを製造したとして、直接起訴状により起訴された。被告人は、刑法163.1条(1)項c)号、(2)項 (3)項 (4)項
(4.1)項と(6)項が、「カナダ権利と自由の憲章」(以下、憲章)の2条が保障する表現の自由の権利、7条が保障する適正手続の権利、11条d)項の保障する無罪推定の権利の規定と抵触しており、憲章1条の自由で民主的な社会における必要性の規定に照らしても正当化することができないとして、これらの刑法条文の違憲宣言を求めている。
[2]要するに、論点は、女王対Sharpe事件判決をきっかけとして
2005年に議会で改正された刑法条文の違憲性についてである。女王対Sharpe事件判決では、児童ポルノの所持罪が、「憲章」の2条b)項と7条に反する違憲立法であると申し立てられたことについて、最高裁判所は検討を行って合憲との判断をしつつも、過去の判例に基づき、次の二つの場合が児童ポルノ罪の例外になることを認めた。児童ポルノに該当する視覚的表現や文字資料を、個人的な用途のために本人が作成して所持していた場合と、本人自身によって撮影された映像記録が個人的な用途のために所持され、かつ違法な性的行為が撮影されていない場合である。
[3] 弁護側は次のように述べている。本件のような刑事訴追は、児童ポルノを推奨も教唆もしていないホラーやフィクションの小説の作家の表現の自由を侵害するものである。憲章 2条b)項と7条と11条d)項に、正当化できない程に反している上に、起訴された作家に対する深刻かつ致命的な社会的制裁をも伴うものだからである。
[4] 弁護側は、刑法163.1条(2)項、163.1条(3)項, 163.1条(4)項 と 163.1条(5)項の量刑の下限が、憲章12条に反して違憲である可能性について、現段階において、その判断を下す必要性がないと同意している。
[5] 検察側は、憲章2条b)項との抵触を認めるが、被告人に対する起訴を次のように正当化している。児童ポルノのような表現は、子供という社会で最も弱い存在に対して特に有害であるから、その自由の保障は相対的に判断するべきである。また、検察側は、憲章7条と11条d)項との抵触を次の理由で否定している。第一に、弁護側がそれを十分に証明していないからであり、第二に、弁護側に主張責任を課すことは、立証責任の転換には当たらないからである。
[6] 以下の理由により、当法廷は、刑法163.1条(1)項c)号と163.1条(6)項b) 号には、憲章2条b)項と7条への正当化できない抵触があると判断し、これらの条文を無効にする。
1. 事実 8-32
[8] 本件の事実認定については、2019年12月5日の判決の事実認定を引き継ぐ。
[7]公訴事実については争いがない点を強調しておく。GodboutとADAがそれぞれ小説の著者と発行人であること、ADAが販売者であること、また「ヘンゼルとグレーテル (Hansel et
Gretel) 」という小説が表紙から裏表紙まで一貫した作品であることといった事実を、すべて被告人には認めている。
[8] 証拠品として小説が一冊提出され、Godboutは著者であることを、ADAは発行人・販売者であることを認めた。
[9]ただし、 Godboutは法廷において、表紙の写真に登場する二人が「生身」の人間であることと、二人が本件小説の登場人物であるジャノーとマルゴーを想定して配役されたものと推認できることを認めた。この点は、Godbout が表紙から裏表紙までを一貫した小説の作品であることを事実として認めた書面(記録と申告)とは反している。
[10]最低限必要な概要は次のとおりである。250頁以上に及ぶ小説で、ホラーとサイエンスフィクションの物語の中で、様々な肉体的・精神的な性的虐待を受ける兄妹の苦しみを描いている。本には、露骨で衝撃的な部分を含むフィクションであるとの注意書きがある。本法廷は、刑法163.1(1)c)条の定める児童ポルノと認定されうる部分が14箇所 に及ぶと見ている。
[9]次の情報を補足する必要がある。第一に、こうした箇所では、父親と息子、娘の間の近親相姦のような性的虐待が描写されているが、加害者の死によって贖罪を得るという構造などによって、その性的虐待を批判することに留まる内容とはなっていない。
[10] 第二に、問題の箇所では、子供たちと第三の成人との間での強姦、肛門性交、フェラチオ、クンニリングス、去勢が描かれている。
[11] 第三に、こうした箇所は、物語の中で悪魔信仰めいた儀式として位置づけられており、その構図によって、作品の中心的な登場人物たち(二人の子供と、サマエルと、その母親のウルスラ)が性的に搾取される理由が説明されている。
[12] 第四に、作品はコストコの複数の倉庫に保管されており、Godbout と出版社のADAがその大量流通を意図していたことは間違いのない事実である。
[13] 最終的に、審理のため、検察側・弁護側は証拠品を提出し、以下のような事実を事前に認め合った:
1. 販売目的で作られたPDF版の電子書籍が、最初に配信されたこと(2017年10月20日)。
2. 二番目の電子書籍として、ePub版が配信されたこと(2017年10月23日)。
3. 本がオフラインにされたこと(2018年1月18日)。
4. 本がオフラインであることが確認されたこと(2018年3月8日)。
5. 本が再び市場に出されたこと(2018年4月25日)。
6. 警察の二回目の家宅捜索と刊行本の回収要請の結果、電子書籍が2019年3月14日にオフラインにされたこと。
7. 現在、電子書籍は合法的な方法では入手不可能となっていること。
8. 現時点では、ヨーロッパのサイトを通じて、P-1の品(本のPDF)のオンラインでの閲覧が可能となっているが、無料でのダウンロードは不可能であること。
9. 上記のサイトでのP-1の品のオンライン公開は、ADA出版とGodbout の制御できないことであり、またこの公開が法律に則った形で行われたわけではなく、非合法であること。
[14] 当初、検察側・弁護側双方が、刑法 163.1条(6)項b)号にある「未成年者に対する不当な危険性」という要件に関連して、次の鑑定報告を提出するつもりであった:
1) 検察側の性犯罪の専門家として、ケベック州警察の子供の性的搾取に関するインターネット上の犯罪を取り締まる部署に勤務する犯罪学者 Sarah Paquette氏の鑑定。Paquette氏の鑑定は主に次の二つに側面を分析する。第一に、異常な興味や空想と、性的な危険性との関連性。第二に、性犯罪を可能にさせてしまうような思考に関する認知のリスクとの関係性。
2) 弁護側:性犯罪と再犯のリスク分析を専門とする犯罪学者のフィリップ・ベンシモン(Philippe Bensimon)氏と、物語論の専門家であるミシェル・ヴェイリュー(Michel
Veilleux)氏の意見の提出。Bensimon氏の鑑定を提出する目的は、主に性的目的での子供との性行為についての記述が構成要素である文章が存在することと未成年者への危害との間には客観的に検証可能な関連性があるのかと、そのような文章が未成年者との性行為を推奨または教唆しているのかどうかを判断するためである。Veilleux氏の鑑定を提出する目的は、創作において使用されたプロセス、技法と、ストーリーの構造を分析して、ゴッドバウトの作品に性的な興奮を喚起するためのポルノ的装置が含まれているかどうかを判断するためであり、この鑑定はVeilleux氏の物語についての科学である物語論の研究の経験に基づいて行われた。
[15] 法廷では、検察側・弁護側の双方が、専門家の報告書を証拠として扱わず、尋問をしないことに合意した。したがって、上記の報告書は、本法廷の判決の判断材料には含まれていない。しかし、検察側・弁護側の双方はVeilleux 氏の報告書の中にあるいわゆる「性愛文学」についての調査を非専門家証拠資料に含めることに同意した。
[16]上記の調査は、フランス語文学の中の児童ポルノを含む作品——つまり18歳未満の未成年者との性行為の描写——を対象としていることから分かるように、明らかに網羅的ではない。
[17]Veilleuxの編纂した目録は六つのテーマに分かれている:
1)性愛文学:ジョヴァンニ・ボッカッチョの『デカメロン』(1350−1354
)、ドナスィヤン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド、通称マルキ・ド・サド(1740ー1814)の著作、ニコラ・エドム・レチフ・ド・ラ・ブルトンヌの著作(1798)、ギヨーム・アポリネールの最も有名なポルノグラフィ小説である『一万一千本の鞭 : 太守の色道遍歴』(1907)、ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』(1955年)、アナイス・ニンの『ヴィーナスの戯れ』(『デルタ・オヴ・ヴィーナス』)(1977年)、エスパルベックの『薬剤師(La Pharmacienne)』(2002年)。ケベックの文学について、フィリップ・ブランション(Philippe Blanchont)の『Après Ski (スキーの後で)』 (1966年)、イヴ・テリオー(Yves Thériault)の『Oeuvre de chair (肉欲の傑作)』(1976年)、シャーロット・ボアジョリ(Charlotte Boisjoli) の『Jacinthe (ジャキント)』 (1990年) 。
2)社会派文学:トニ・モリスンの『青い眼が欲しい』(1995年)、アゴタ・クリストフの『悪童日記』(2011年 )、シルバン・モーニエー(Sylvain Meunier)の『Lovelie d’Haïti』(2003年)ヘザー・オニール(Haether O’Neil)の『Hôtel Lonely Hearts(ロンリー・ハート・ホテル)』(2017年)
。
3)ホラー小説とポラール:『IT-イット-』や『図書館警察』を含むスティーヴン・キングの作品、パトリック・セネカル(Patrick Sénécal)の『タリオンの七日間(Les sept jours du
Talion)』(2002年)と『ヘル・ドットコム(Hell.com)』(2009年)、クリスティーヌ・ブルイエット(Chrystine Brouillette)の『それは私の子供をもっと愛するため(c'estt
pour mieux t’aimer mon enfant)』(1996年)、アンヌ・エベール(Anne
Hébert)の『サバトの子供たち(Les Enfants du Sabbat)』(1975年)とアラン・ロベ・グリエ(Alain Robbe-Grillet)の『センチメンタル小説(Un Roman
Sentimental)』(2007年)
4)児童性愛の欲求を探求し、また分析する書物:エルヴェ・ギベールの『二人の子供たちとの旅(Voyage avec deux enfants)』 (1982年) と『あなたのせいで私はファントムをしつけることになった(Vous m’avez
fait former des Fantômes)』 (1987年) 、トニー・デュベール(Tony Duvert)の『ファンタジーの風景(Paysage de Fantaisie)』(1973年)、ニコラ・ジョーンズ・ゴルラン(Nicolas Jones-Gorlin)の『薔薇のお菓子(Rose Bonbon)』 (2002年)、ルイ・スコレッキ(Louis
Skorecki)の『かれは伝説になったかもしれなかったのに(Il entrerait dans la
légende)』 (2002年)、さらに、女性のよるペドフィリアの小説として、ジョフリーヌ・ドナデュー(Joffrine Donnadieu)の『フランスの物語(Histoire de
France)』(2019年) 。
5) フランス文学における性的暴力に関する証言としての小説:クリスティーヌ・アンゴ(Christine
Angot)の『バカンスの一週間(Une semaine en vacances)』(2012年)、クリストフ・ティロン(Christophe Tiron)の『かれは私を愛していた(Il m’aimait)』(2004年)、ヴァネッサ・スプリンゴラ(Vanessa Springora)の『同意(Le consentement)』(2019年)、リンダ・プレストリー(Linda Prestely)の『秘密の中のケベックで(Au Québec dans
le Secret)』(2011年)、マルティーヌ・アヨット(Martine Ayotte)の『罠——ある告発の話し(La Proie : récit d’une
dénonciation)』(2008年)、アンヌ・ポッツヴァン(Anne Potvin)の『近親相姦——証言(Inceste : Témoignage)』(2019年)とマリー・ピア・ラフォンテーヌ(Marie-Pier Lafontaine)の『雌犬(Chienne)』(2019年)
。
6)アンドレ・ジッド、ジュリアン・グリーンとガブリエル・マツネフを含む作家の日記 。
[18] この証拠に関して、本法廷は、確認できた3つの重要な事を強調したい。第一に、Veilleux からの提出で分かるように、上記の書物の内容が間違いなく児童ポルノに該当するもので、ここでその内容を細かく記載する必要がないことも明白であること。
[19] 第二に、上記の著作の中には、評論家と一般読者に認められ、或いは権威のある賞を受賞した著者によるものもあるということ。この事実は、トニ・モリソン(Toni Morrison)のノーベル文学賞、アンヌ・エベール(Anne Hébert)とイブ・テリオー(Yves Thériault)の受賞したカナダ総督文学賞(prix du
gouverneur général et Athanase-David)とジュリアン・グリーン(Julien
Green)のアカデミー・フランセーズ文学大賞に言及すれば十分理解できる。
[20] 三番目に確認できた事は、本法廷において最も重要である。法廷において、検察側は、「性暴力に関する証言」という分野の文学が表現の自由の中心たる表現の部類に該当することを認めた。こうした表現は、書き手個人の精神的な自己実現に役立つものであると認識されており、また、近親相姦の被害者や、児童性犯罪の加害者についての、社会の在り方も含めての広い意味での正義の在り方に関する社会的議論にも有用であるとされているからである。
[21] この証拠には、Godbout(50歳)の証言が付加されている。彼の証言は、小説の刊行に対する法的措置によって起きた様々な出来事についての内容となっている。Godbout は、自身について、ホラー小説やホラーに分類されるサスペンス小説を数多く執筆してきた作家であると述べる。彼は、市民からの告発の後、2018年1月にケベック州警察の警察官から初めて尋問されたことにより、かなり動揺させられたと語っている。
[22]彼は、問題が解決したと思い、徐々に警察官とのやり取りによるストレスが解消されつつあった。しかし、その二ヶ月後、朝の6時に警察官二人が逮捕状と捜索差押令状を持って彼の家に現れ、全裸の状態で配偶者と一緒にベッドで寝ていた彼をそのまま逮捕した。Godbout は、その事でショック状態になっただけでなく、警察官一人が開いたドアの前で立っているまま、トイレに行かされたことに深い屈辱を受けたと主張している。彼の配偶者は、逮捕の一部始終を青ざめたまま目撃した。
[23] 警察官は、電話、パソコンとiPadを含めた電子機器と、小説『ヘンゼルとグレーテル』数冊を差し押さえた。その後、Godbout は、5時間〜5時間半ぐらいに及ぶ尋問をうけた。その尋問は、彼の配偶者との性生活についての質問や、彼によれば、彼に小児性愛者というレッテルが貼れるように仕組まれた質問を含んでいた。彼は、それに対して「子供に対する性暴力はこの上なく最低の行為だ」と答えたが、そのような質問を受けたことは特にショックであったと証言している。
[24]上記のことを踏まえて、本法廷は次の付記をつける必要があると判断した。
[25]本法廷は、警察が
Godbout の逮捕と電子機器の差し押さえのために取った手段に対して、法外とは言わないまでも驚きを禁じえないと考えている。これは、本件で対象となっている立法規定の違憲性を判断する基準ではなく、『憲章』24条が保障する権利に関わることである。Godbout には、現行犯逮捕が必要になるような証拠隠滅を図る可能性はなかったし、あるいは追い込む必要がある隠れた小児性愛者でもなかった。彼は、コストコの倉庫営業施設のような公共の場所で、白昼堂々と自分の作品を販売している小説家である。
[26] こうした状況においては、警察の選んだ方法が適切であったかについて十分疑問が生じる。
[27] ただし、本法廷は、この疑問が本件の判決に影響しなかったことを明記したい。
[28] 付記終了。
[29]執筆活動を特に好んでいた
Godbout だが、それ以来、創作活動ができないような状態に陥っており、児童ポルノ犯罪者として告発をされたことは、精神的に堪え難いことであると述べている。告発以降、日々最低限の生活を行う上でのことしかできず、もはや自分は生きているふりをしているにすぎない状態であるという。世間の目は自分を小児性愛者として見ており、ホラー作家としてスケープゴートにされているように感じているという。
[30] Godboutは、この状況を悪くとっている彼の元配偶者と息子の反応にも悩まされている。直接起訴状が提出されたことも受け入れがたいことであり、予備審問さえ許さなかった国家による執拗なやり方の犠牲になったと感じている。また、告発によって財政面での影響が広がりつつある。執筆もできず、彼の所有する不動産の価値の半分を弁護費用にあてる羽目になった。この状況は、彼に多大な財政的な被害をもたらした。
[31] Godbout は、2019年12月に限界を感じ、この状況下で生きることがもうできないと感じた。彼のFacebookの頁には、脅迫的で悪意に満ちたメッセージが寄せられている。この事件に伴うプレッシャーに耐えることができずに、彼は自殺を試みたが、妹にメッセージを残していたことで、父親の墓の前にいるところを警察に発見された。彼は、病院に搬送され、数日入院した。それ以降、薬物治療を受けている。
[32] 彼は、表現の自由を守る団体の存在を認識し、時々応援のメッセージを受けることがあると認めている。こうしたことが心の支えになってはいるが、彼は未だに状況に一人で対応している。
2. 検討 (省略) 33-148
2.1 『憲章』2条b)項への抵触 La violation de l’article 2b) de la
Charte 33-35
2.2 『憲章』1条による正当化 La justification en vertu de l’article 1 de la Charte 36
2.2.1 判例法理 Les
principes générau 37-44
2.2.2 立法目的
L’objectif législatif 45-54
2.2.2.1 立法にいたる経緯 L’historique législatif 45-54
2.2.3 法律による利益と制限される権利の比例性 La proportionnalité entre la restriction du droit et les avantages
des dispositions législatives 55-148
2.2.3.1 合理的関連性
Le lien rationnel 55-62
2.2.3.2 最小限の制約 L’atteinte
minimale 63-125
2.2.3.3 比例性 La
proportionnalité 126-148
3.『憲章』7条への抵触 (省略) 149-162
4. 『憲章』11条d)項への抵触 (省略) 163-189
4.1 違反の存在 La
détermination de l’existence d’une violation 163-189
5. 結論 190-194
[190] 本件は、「Sharpe」事件とは異なり、被告人が自分の事件に関係のない仮定的な法律適用の問題点の指摘によって、立法措置の無効を主張するものではなく、逆に、本件と同様の刑法163.1条(1)項c号と163.1条(6)項b)号の同時適用が、既存の文学作品の多くにも及び得る潜在的な効果を確認するという流れとなっている。本法廷はこの点について詳細には立ち入らないが、Veilleuxの証言にあった他の文学のジャンルでも、未成年者との性行為を教唆や推奨しないかぎり、同じ結論になることが理論的には考えられる。
[191] 本法廷は、未成年者との性行為を「推奨する」や「教唆する」という要件——あるいはこれに相当する要件——が置かれていることが、児童ポルノに該当するとして文字資料を犯罪化する立法が憲法上有効であるための必要的な条件であるという判断を下す。
[192] 本件では、刑法163.1条(1)項c)号と163.1条(6)項b)号の同時適用における、こうした要件の欠如がもたらす問題が確認できた。
[193]したがって、『憲章』52条により、刑法163.1条(1)項c)号と163.1条(6)項b)号を違憲と宣言するのが、本件の最も適切な救済方法である。しかしながら本法廷は、この違憲状態を訂正する義務は本来的には立法府にあると考えている。
[194] この違憲宣言により、GodboutとADA 出版株式会社は無罪となる。
判決 195-199
[195] Yvan Godboutが2020年2月21日に申立てた違憲宣言の求めを部分的に認める。
[196] 刑法163.1条(1)項c)号と163.1条(6)項b)号が、「カナダ権利と自由の憲章」2条b)号と7条に抵触していると宣言する。
[197] 「カナダ権利と自由の憲章」2条b)号と7条への抵触が、1条によって正当化できないと宣言する。
[198] 「カナダ権利と自由の憲章」52条によって、刑法163.1条(1)項c)号と163.1条(6)項b)号が無効であることを宣言する。
[199] Yvan GodboutとADA
出版株式会社を、本件の起訴について無罪とする。