2016年3月16日
本文書は、2016年3月に国際連合の下部機関より公表された二件の報告書案(CEDAW/C/JPN/CO/7-8およびA/HRC/31/58/Add.1)のうち、日本の表現規制に係る部分についてその見解を要約するとともに一定の所見を示すことを目的とする。
なお筆者は特に国連文書を読むことの訓練を受けているわけではないのであるいは各文書の位置付けや内容等の理解に不適切な点があるかもしれず、その際にはご叱正を乞いたい。
女子差別撤廃委員会報告書
報告書の性格
2016年3月7日付けで、女子差別撤廃委員会(CEDAW; Committee on
the Elimination on the Discrimination against Women)より「女子差別撤廃条約実施状況第7回及び第8回報告に対する委員会最終見解」の先行未編集版Concluding observations on the combined seventh and eighth periodic
reports of Japan (CEDAW/C/JPN/CO/7-8) Advance Unedited Versionが公開された。
同委員会は、国連総会により1979年に採択された「女子差別撤廃条約」に基づき、締約国による報告を検討することなどを目的として国連人権理事会が設置した外部専門家の組織である。日本政府は2008年4月に同委員会に対する第6回報告を行ない、同委員会による検討(consideration; 政府側を含む出席者)を踏まえた最終見解が2009年8月に公表されている。今回の経緯はこれに続くものであり、日本政府から2014年9月に提出された報告に基づく検討が2016年2月に実施されている。本見解は、この報告および検討の内容を踏まえたものと位置付けることができる。
表現規制に関する内容
報告書は、短い序文(2〜3節)に続いて前回報告以降の達成を列挙して評価したのち(4〜5節)、懸念とそれに対する提言(7〜57節)に移る。報告書の本体と評価すべき懸念・提言の部分は、領域ごとにまず懸念事項が表明され、続いて対応が提言されるという構成になっている。このうち、表現規制に大きく関連するのは「ステレオタイプと有害な慣行」Stereotypes and harmful practices(20〜21節)の部分である。
まず20節においては、社会と家庭の双方における男女の役割や責任について、父権制的な態度とステレオタイプが根強く残存していることに委員会が引き続き懸念を示していると表明された上で、特に懸念される点として(a)メディアや教科書類にそのようなステレオタイプが反映しており教育に関する選択や家庭内の男女平等に影響していること、(b)メディアが女性を性の対象とすることを含むステレオタイプ的な描写をしばしば行なうこと、(c)そのようなステレオタイプが女性に対する性的暴力の根本原因となっており、ビデオ・アニメ・マンガが女性に対する性的暴力を促進していること、(d)少数民族や移民女性に対して性差別的な言動が続いていることが挙げられている。
21節では第6回報告の内容を繰り返すとの位置付けで5点の対応が提言されているが、そのうち表現規制を関係が深いものは以下の(b)項である。結論的には一定の規制を及ぼすべきとするものであるが、あくまで表現の効果に焦点を置くものである点には留意する必要がある。
ジェンダーに関する差別的なステレオタイプを悪化させ、女性及び女子に対する性的暴力を強めるポルノグラフィー的成果物、ゲーム及びアニメの生産と頒布を規制(regulate)するため、既存の法的手段とモニター・プログラムを効果的に実現すること。
所見
報告書は、懸念の対象となる創作物について「ポルノグラフィー、テレビゲーム、及びマンガを例とするアニメーション」(pornography, video games and animation such as manga、20節c)という表現を用いており、表現の形式や手法の違いについて正確な理解に基づく判断であるかどうかについては一定の疑問なしとしない。
しかしながら提言の内容については、第一に性的暴力の悪化という効果に結び付く表現を対象としていること、第二に単純な禁止や(後述する人権理事会報告書のように)芸術的価値のある場合に限って司法過程における免責が与えられるというような「強い原則的禁止」ではなく「規制」とした点についても、関連するさまざまな価値との調整可能性を念頭に置いたものとして評価することができるのではないだろうか。
2009年の第6回報告に対する最終見解において、同委員会は「女性や女児への強姦、集団暴行、ストーカー行為、性的暴行などを内容とするわいせつなテレビゲームや漫画の増加に表れている締約国における性暴力の常態化に懸念を有する」との認識に基づいて「これらのテレビゲームや漫画が「児童買春・児童ポルノ禁止法」の児童ポルノの法的定義に該当しない」ことに懸念を示し、「女性や女児に対する性暴力を常態化させ促進させるような、女性に対する強姦や性暴力を内容とするテレビゲームや漫画の販売を禁止(ban)すること」を強く要請していた(35〜36節)。今回の提言はそれに対し、より正確な状況理解と法的枠組の判断に基づいて適切な結論に至ったものと考えることができるだろう。
人権理事会報告書
報告書の性格
2016年3月3日付けで、国連人権理事会より「日本への訪問調査に関する児童売買、児童買春及び児童ポルノ国連特別報告者報告」の先行編集版Report of the Special Rapporteur on the sale of children, child
prostitution and child pornography on her visit to Japan (A/HRC/31/58/Add.1)
Advance Edited Versionが公開された。
特別報告者は、国連の特別手続きの一種として個別の人権問題に関する調査報告を行なうために人権理事会により任命される外部専門家である。特定の国における人権状況を対象として任命される場合と特定のテーマに関して世界的な状況を対象とする場合があり、2015年3月の時点で前者は14件、後者は41件が設置されている。「児童売買、児童買春及び児童ポルノ」は後者の一環として1990年に設置され、2014年よりマオド・ド・ブーア=ブキッキオ氏(Ms. Maud de Boer-Buquicchio)。が務めている。ド・ブーア=ブキッキオ氏はオランダ国籍、1969年にライデン大学より欧州共同体法における男女平等をテーマとして博士号を授与され、欧州評議会(Concil of Europe)で長く勤務し2002年から12年まで事務次長を務めた(事務総長には加盟国の政治家が選出されるため、事実上の事務方トップである)。その後、国際NPOである「行方不明・被搾取児童問題国際センター」(ICMEC;
International Centre for Missing & Exploited Children)の理事、同じく「ヨーロッパ失踪児童」(Missing Children Europe)の代表を務めている。
本報告は、特別報告者が2015年10月19日から26日にかけて行なった日本への訪問調査の報告であり、事前・事後を含めて収集した情報に基づき特に児童保護政策と立法に焦点を当てたものとされている。
表現規制に関する内容
報告書は大きく、状況の分析(II・8〜19節)、問題解決のために取られた対策(III・20〜70節)、結論と提言(IV・71〜74節)という三つの部分に分けられている。
日本の現状については、まず12節から16節において「児童虐待成果物」(child abuse
material)としてまとめられている。特に12節においては、情報技術の進歩によって日本で制作された児童虐待成果物が世界的に流通し視聴されるようになっていることが指摘され、「特に、過激な児童ポルノの描写を含む漫画・アニメ・CG・ゲーム(パッケージ・オンラインを含む)といったジャンルにおいて、ヴァーチャルな児童の性的に搾取的な表現の主要な生産者として日本が特定されてきている」と批判されている。また、規制強化にもかかわらず秋葉原などエンターテインメント産業の盛んな地域において児童虐待成果物へのアクセスや購買がなお容易であるとも指摘されている。
これ以外には、13節において「着エロ」(7〜12歳児童の性的に挑発的な姿態の写真その他の成果物)、16節において「リベンジポルノ」に関する言及があるほか、14節で児童ポルノのストリーミングによる視聴が規制されていないこと、15節において詐欺的または強制的な手法によるポルノ制作が問題として指摘されている。
これらの問題への対策として取られてきた手段に関して、特に立法等による対策について20節から29節において検討されている。このうち22節から25節が「『ヴァーチャルな』児童虐待成果物」("virtual" child abuse material)への規制に関するものであり、2014年の児童買春・児童ポルノ禁止法(平成11年法律52号)改正を経ても残された課題として位置付けられている。
22節においては規制に反対する側の意見が要約されている。憲法21条の保障する表現の自由に抵触し得ること、実在しない児童に関する創作は現実の児童に対する被害を含まないし両者の因果関係も証明されていないこと、猥褻物についてはすでに刑法の対象となっておりさらなる規制は警察による捜査の肥大を招き得ること、同法の目的が実在する児童の保護に置かれている点と齟齬すること、またこのような規制が視覚メディアに対する規制強化につながり得る点が日本特有のマンガ・アニメ文化に影響し得るという意見が踏まえられている。
他方23節においては、規制を肯定する側の意見が紹介されている。根拠としては国際人権法における定義がヴァーチャルなものを含んでいる点に加え、マンガ・アニメ・ゲーム等を通じて児童に対する性虐待を許容するような内容が示されることによってそのような行為に対する社会の許容度が上昇してしまうため、現実の加害行為が含まれていないとしても加害が促進されるという主張が挙げられている。
24〜25節において両者を踏まえた特別報告者の見解が示されているが、規制と表現の自由が対立し得ること、表現の自由が重要であることを認めた上で「powerful and lucrative business」(強力で儲かるビジネス)のために子供の権利が犠牲にされてはならないと主張するものとなっており、国際人権法上の定義を導く根拠として「描写された児童に対する加害を必ずしも含まないとしても、そのような行為に児童が加わることを促したり誘惑したりすることにより、児童虐待を肯定するサブカルチャーの一部を構成する」ことが指摘されている。特に芸術的表現を守るために難しくデリケートなバランスへの考慮が必要なことは認められているが、その点については司法判断に委ねるべきことが提言されている。また、2014年法改正の過程においてヴァーチャルな創作物と現実の加害・被害との関連についての科学的調査が提案されたことについて批判があり、結果的に撤回されたことが紹介されている。
以上の認識に基づいた提言が74節にまとめられている。特に関連する部分は以下の通りであり、結論的にはマンガ・アニメ等であっても区別することなく規制の対象にすべきだとの主張であると考えることができる。
(b項ii)明らかに性的な活動を行なっている児童又は主として児童であると描かれている人物のヴァーチャルなイメージ又は表現、及び主に性的な目的における児童の性的部分のあらゆる表現の製造、頒布、提供、販売、アクセス、閲覧、及び所有を犯罪化すること。
(b項iii)児童虐待成果物に関するオンラインでの試聴及びアクセスを犯罪化すること。
(b項iv)「JKサービス」や児童エロチカのように、児童の性的搾取を促進し又は誘導する商業活動を禁止すること。
所見
状況認識や問題の分析枠組に不適切な点はあまり見られない。ただし全体的に「真正児童ポルノ」(本来の児童ポルノ、現実の児童に対する現実の性的加害によって制作されたもの)とその周辺のもの(マンガ・アニメなど非実在児童を対象とする創作物、成人が児童であるかのように演じている「表見児童ポルノ」、「着エロ」のように実在児童が関与しているが低強度の「児童擬似ポルノ」)が区別されておらず、その結果として「秋葉原で(真正)児童ポルノが購入できる」とも理解し得るような不自然な記述が生じている点には注意すべきであろう。
この問題は対応の提言にも影響を与えている。前述の通り、本報告は現実の犠牲者が存在しないような表現であってもそのような行為に子供が関与することを促進し、あるいは誘惑されるために使われ得るという観点から(表現の自由に対する配慮を見せつつも)規制を正当化しようとしているが、そのような間接的影響を有し得る表現と直接的な加害を伴う表現との区別は、そのためにかえって曖昧なものとなっている。
たとえば、現実に発生した児童性虐待事件を描写することを通じてその悪質性を社会的に訴えて同種の事件再発を防止しようとの意図に基づく作品を想定しよう。制作者の意図が真摯なものであり、作品が実際にもそのような影響を社会に及ぼすようなものであるとして、しかしその制作過程において十分な同意能力を持たない児童が性描写の対象として利用されてしまうとすればそれは現実の加害であり、このような作品を禁止する根拠を与えるだろう。しかしこの作品があたかも児童に見える成人俳優によって演じられた場合、あるいは現実の児童に対する関連性を持たないマンガ・アニメなどの作品として制作された場合に、同様の根拠が存在するだろうか。
逆に、児童に対する性虐待を勧奨することを目的として、しかしいかなる現実の虐待行為をも伴わず制作された小説が社会に広く普及した結果として多数の虐待事件が現実に生じた場合、これを一定の規制対象としなくてはならないことについての異論は大きくないだろう。ここからわかるのは、現実の児童の性的描写を伴う作品についてはその制作意図を問わず制作手段の不当性を根拠として(その程度について真正児童ポルノ・児童擬似ポルノの差異はあり得るにせよ)規制しなければならないのに対し、それ以外のタイプの作品(表見児童ポルノ、マンガ・アニメ等の非実在描写)についてはその手段を問わず社会的影響への意図と現実の効果がある場合に規制を考慮すべきだという点である。両者は規制の根拠と、従って適切な規制手法を完全に異にしており、両者を区別せずに扱った特別報告者の視点はこの点で失当と評価しなくてはならない。
このような視点に立てば、現実の加害との関係を持たない創作物が、にもかかわらず表現の自由を制約し得るほど強い因果関係を示しているかに関する経験的立証が第一に必要になるであろうし、第二にその関係が事実存在する場合においてもその影響を意図的に強化するような目的のある表現(典型的には推奨・煽動・教唆)に限った規制がまず考慮される必要があるだろう。表現の自由への配慮を特別報告者が示すのであればその保護を単に司法過程に委ねるのではなく、このような類型化を通じて規制自体の適切なあり方を模索すべきであったと考える。
また、児童ポルノの定義として国際人権法の諸規定を参照し、「現実の若しくは擬似のあからさまな性的行為を行う児童のあらゆる表現」(国連・児童の権利条約・児童の売買等に関する選択議定書(2000))、あるいは「現実の若しくは擬似のあからさまな性的行為を行う、児童に見える人物の視覚的表現」(児童の性的虐待、性的搾取と児童ポルノに対抗する2011年12月13日の指令(2011/93/EU))といった形でヴァーチャルな児童の描写が含まれていることを根拠としてマンガ・アニメ等を含む創作物への規制を正当化しようとしているが、これらの規定の立法趣旨・立法事実を踏まえたものであるかには疑問が残る。アニメ・マンガ等による児童の性的描写を所持していたことが犯罪として問われた事案において、スウェーデン最高裁判所(2012年6月15日)、オランダ最高裁判所(2013年3月12日; ECLI:NL:HR:2013:BY9719)はともにこれらの規定に準拠した国内法に基づきつつ、無罪との判断を下しているからである。特にオランダ最高裁が、同規定が想定していたのは写実的で実写と区別できないような映像、具体的には実在児童をモンタージュ(morphing)することによって作成されたものなどであり、実在児童の描写でないものまで処罰する趣旨かは不明確であるし、そのように理解した場合には言論・情報の自由と抵触すると指摘している点には注意する必要がある。
この点を踏まえ、virtual imagesという用語の意味するところを明確化するとともにその内容について現実の危害との関係から正当化することが、今後の課題として指摘し得るであろう。
以上
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