2020年11月25日水曜日

【講演】同人誌の無許諾ネット配信事件知財高裁判決について

【講演】同人誌の無許諾ネット配信事件知財高裁判決について
 いわゆる「二次創作」や「キャラ」の著作権法上の扱いが焦点となった2020年10月6日の知的財産高等裁判所判決(令和2(ネ)10018)について、情報法学者の白田秀彰先生に徹底解説して頂きました。ぜひご覧ください。



講師:白田秀彰さん (情報法学者/法政大学社会学部 准教授)
収録:2020年11月21日 (12月24日に公開予定で準備を進めていましたが、講師の白田先生が急ピッチで制作をしてくださり、前倒しで公開できることになりました。)

(1)【講演】同人誌の無許諾ネット配信事件知財高裁判決について
 https://youtube.com/watch?v=zd9m_Y7MI7o
(2)【講演】同人誌の無許諾ネット配信事件知財高裁判決について
 https://youtube.com/watch?v=JLmhMU-91NY
(3)【講演】同人誌の無許諾ネット配信事件知財高裁判決について
 https://youtube.com/watch?v=84YFiybDpH4

関連書籍:
『しなやかな著作権制度に向けて ― コンテンツと著作権法の役割』
 https://www.shinzansha.co.jp/book/b285049.html
『性表現規制の文化史』
 https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=825



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2020年11月3日火曜日

志田陽子さん × 飯田志保子さん

『芸術の自由マニュアル/芸術の検閲マニュアル』
 日本語版 発行記念対談 第1回 志田陽子 × 飯田志保子

 2020年8月にNPOうぐいすリボン出版局から『芸術の自由マニュアル/芸術の検閲マニュアル』日本語版を発行したことを記念しまして、監修・監訳を務めた志田陽子さん(憲法学者/武蔵野美術大学教授)と、芸術の自由に関係する各分野の専門家との対談企画を実施します。
 第1回目のゲストは、あいちトリエンナーレ2019の学芸統括などを務めた現代美術キュレーターの飯田志保子さんです。

2020年10月8日 ZOOMにて実施
司会:荻野幸太郎 (NPOうぐいすリボン)

対談記事は、こちらから



2020年11月1日日曜日

カナダでの歓迎すべき勝訴

 この記事は、Prostasia Newsletter #27 掲載の記事「A welcome victory in Canada」を、発行元のプロスタシア財団の許可を得て仮訳したものです

 

Prostasia Newsletter—October 2020

カナダでの歓迎すべき勝訴



 20209月、ケベック州上級裁判所は、古典的なおとぎ話をホラー小説に翻案した『ヘンゼルとグレーテル』が児童ポルノ犯罪に当たるとして起訴されていた、著者のイヴァン・ゴッドバウトと出版者を無罪としました。この待望の判決は重要なものです。無罪判決に加え、検察側が訴追の根拠としたカナダの児童ポルノ法の一部について、カナダ権利自由憲章を侵害したとして、無効であると宣言されたからです。

 

そもそもフィクションの禁止が存在すべきとされた理由を明らかにするために、まずはカナダの法制史を紐解くことにしましょう。1985年、カナダの法律に追加された元々のフィクション禁止条項は、「18歳未満の人との性的活動を擁護または助言するあらゆる書面または視覚的表現」を対象としていました。また、この法律は、「芸術的な価値」による抗弁を認めていました。

 

この禁止が拡大されるきっかけが、2001年の女王対シャープ事件でした。シャープは、思春期の少年のヌード写真を所持していたという児童ポルノ犯罪で起訴されましたが、シャープ自身が執筆した架空の物語についても起訴されました。シャープは弁護の中で、フィクションの禁止は違憲であると主張しましたが、裁判所は違憲とまで宣言することはしませんでした。配布を目的としない自分で作成した素材については暗黙の例外が認められており、10代の若者が自分たちのために撮影した自作の映像のような事例については例外として認められていたにも関わらず、裁判所はフィクション禁止する法律については大筋で合憲と認めたのです。裁判所はフィクションの禁止を是認できる理由付けについて、次のように説明しました。

 

科学的証拠は有力ではないものの、このような場合においては、関連性が存在する根拠を裏付けるのに十分なものといえる。児童ポルノに曝されることは、小児性愛の抑止と児童の性的虐待に対する抑制を妨げる可能性がある。それは、非道なこと、良心を麻痺させること、異常なことを正常なことのように思わせ、不道徳を容認できるかのように思わせるようなことが児童ポルノに曝されることでもたらすかもしれないことを、禁止するということだ。

 

この関係の科学的証拠は、確かに有力ではありません。これまで行われた研究は限られていますが、存在するエビデンスは、おそらく直感に反して、子供に関する性的空想への耽溺は犯罪的攻撃性とはあまり関係がなく、「仮想児童ポルノ」へのアクセスは、大人と実在児童とのセックスを容認する態度とも関係がないことを示唆しています。そして、性的欲求を解消するようなコンテンツが利用できることは、実際の子供に対する性犯罪の発生率を減らす可能性もありそうなのです。

 

法律の合憲性(法学者たちからは批判された判断)を大筋で支持したにもかかわらず、裁判所はシャープを無罪としました。彼の書いたストーリーが、そのような性的活動を支持または助言する内容ではなく、そして文章が芸術的な価値を持っていたためです。このことはカナダ社会に論争を引き起こし、今回のゴッドバウトの事件で検討された法律の改正を促しました。

 

シャープ事件論争に応えて2005年に2つの最も重要な法改正が行われました。フィクションの禁止を拡大して、「主な特徴として性的な目的のために、この法律の下で犯罪となる18歳未満の人物の性的活動を描写したあらゆる文章」を含めたのです。虐待を「擁護または助言」するという要件を満たすことは必要ではなくなりました。もう1つの改正は、「芸術的価値」による抗弁と、「教育的、科学的、または医学的目的」がある場合についての例外規定を廃止して、被告の行動が「司法または科学の管理に関連する正当な目的を持っていて」、かつ「18歳未満の人に過度の危害を加えるリスクをもたらさない」ことという要件に置き換えたことでした。

 

皆さんの予想通りこの時の議論は二極化し、一部の議員たちは、はるかに狭くなった要件の例外条項についてすら「危険な抜け穴」であると批判し、一方で法学者たちは、「物語や絵画のような架空の視覚的表現やテキストを見ただけで人を刑事罰の対象にすることはばかげている」と懸念を表明して、このような法律は違憲とされるだろうとの予測をしました。

 

ゴッドバウト事件判決により、この予測は今や現実のものとなりました。2005年に改正された両方の重要な条項が取り消されました。無効と宣言された1つ目の規定は、「18歳未満の人物との性的行為を擁護または助言する文章、視覚的表現、または録音物」という要件からの改正についてでした。ブランチャード裁判官の決定(フランス語)は次のように述べています。

 

「擁護または助言」という要件が必須でないこと、または児童ポルノの定義においてそれに相当する要件がないことは、表現の自由、特に小児性愛者の手で経験した虐待を明確な言葉で表現したい人の権利を、根本的に縮減させることになる。

 

違憲とされた法律の2つ目は、「正当な目的」の抗弁を主張する被告が、その文書が「18歳未満の人物に過度の危害を加えるリスクをもたらさない」ことを示さなければならない点でした。この点についての判断は少し不透明ですが、虐待を「擁護または助言」しない作品の場合にまで、この要件が被告に過度の立証の負担をかけるという点に着目したようです。

 

しかし、ゴッドバウト事件は、以前にシャープ事件の法廷によって受け入れられた、フィクションが未成年者に実際に危害を加えるリスクを生み出すという主張に異議を唱えることはしませんでした。この主張は、フィクションを一律禁止することを憲法上正当化する基盤となっているものです。検察は、この問題について科学的に向き合う必要性を回避するために、「客観的に検証可能な危害は、児童ポルノと性的暴行の態様との間の直接的な科学的相関関係によってではなく、憲章の基本的価値観、人権に関連する法律、およびカナダが遵守する国際文書との関連に従って評価されるものである」と述べています。

 

ブランチャード裁判官は、残念ながら、次のように結論付けてこの論旨を受け入れました。

 

効果についての科学的証拠がない場合であっても、常識は常にそのような問題における有用な意思決定ツールであり、歪んで堕落した心にとって、文書または視覚的な児童ポルノ素材が、特定の行動の逸脱を助長して、未成年者に過度のリスクをもたらという結論を出すことは、不合理ではない。最高のものも最悪のものも、すべてが可能であり、またあり得るということを、人間性というものが教えてくれているからである。

 

このような理由付けは、「リスク」の概念を、合理的な調査を何らかの形で超越する信仰へと変換してしまいます。刑事法のあらゆる事柄において、このような方法を許容できる理由はありません。フィクションが子供にリスクをもたらす場合、プロスタシア財団が試みているように、そのリスクを科学的に調べることができるはずです。私たちの最近のブログ記事では、禁じられた考えを単に読むことが読者に「道徳的腐敗」を生み出す可能性があるという考え方について探求し、真相を突き止めています。読者の心に影響を与えると推定されるために、あらゆる種類の文学を禁止することは「魔術的な思考」であって、それでは法とはいえないのです。

 

ゴッドバウト事件判決が不十分なもう1つの分野は、カナダの児童ポルノ法における視覚芸術の禁止の問題について、さらに踏み込むことができていない点です。これは仮定の懸念以上のものです。一例を挙げると、昨年、カナダ児童保護センターは、ブログに絵を投稿したとして17歳の少女を逮捕しました。また、カナダの法律では、DD / lgまたはエイジプレイをテーマにした18歳以上の成人のみが出演する写真やビデオを作ったことで、児童ポルノ製造罪での有罪判決を受ける可能性もあります。

 

広範囲なカナダの児童ポルノ法は、シャープ事件裁判にたずさわったECPATなどによっても、未成年者の芸術的イメージの犯罪化を世界中に普及することを提唱する論拠として使用されてきました。2019年、国連でのキャンペーンにより、芸術的な画像を現実の児童の性的虐待の画像と同等に各国が扱うべきであるという衝撃的な委員会勧告が出されました。

 

したがって、ゴッドバウト事件判決が、文書による著作物が虐待を擁護または助言しない限り、憲法上保護されていることを確認したことを歓迎しますが、それだけでは十分ではありません。カナダの法律は依然として不当に広範であり、カナダでの芸術的表現は危険にさらされたままです。ゴッドバウト事件判決の結果として、立法者たちはカナダの児童ポルノ法を再検討するために再び絵画の議論に戻る可能性があります。そうした議論の際には、私たちは、架空の子供ではなく、実際の子供たちの福祉が議員の最優先事項になることを願っています。

2020年8月17日月曜日

全米反検閲連盟「芸術の自由マニュアル / 芸術の検閲マニュアル」日本語版

全米反検閲連盟の「芸術の自由マニュアル / 芸術の検閲マニュアル」を、日本語に翻訳して、うぐいすリボンより発行しました。

著者のスヴェトラーナ・ミンチェバさんより、ビデオ・メッセージが届いておりますので、ご紹介します。(日本語字幕付き)



 本書は、2018年2月に全米反検閲連盟(NCAC)が発行した『A Manual for Art Freedom / A Manual for Art Censorship』を邦訳したもので、2020年8月に冊子版とPDF版を発行しました。

A Manual for Art Freedom / A Manual for Art Censorship (芸術の自由マニュアル / 芸術の検閲マニュアル) 日本語版(2020)
 監修・監訳:志田陽子 (憲法学者/武蔵野美術大学教授)
 監訳:山口貴士 (日本国弁護士/カリフォルニア州弁護士)
 編集:荻野幸太郎
 装丁:山田久美子
 発行:特定非営利活動法人うぐいすリボン
 ISBN978-4-907228-00-2 (冊子版)

 Text by Svetlana Mintcheva
 Editing by Joy Garnett
 Design by Marshall Reese
 A publication of the Arts Advocacy Project, National Coalition Against Censorship


 

皆様へのお願い

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2020年5月30日土曜日

リアルドール(ラブドール)規制を主張する声の様々な問題点

 本稿は2019年10月4日に韓国ソウルで開催された国際会議 “The Current Status of Freedom of Expression in the Republic of Korea” (社団法人Open Net Korea主催 / NPO法人うぐいすリボン後援) の第3セッション “Between Imagination and Actions, and the role of the government – the Issue of Virtual Child Pornography and Real Dolls” のために用意された登壇者イ・ソンオクさんのレジュメを、許諾を得て日本語に翻訳したものです。

2019年10月4日
“The Current Status of Freedom of Expression in the Republic of Korea”



イ・ソンオク / 이선옥 (作家)


1. 韓国・最高裁判所によるリアルドール輸入許可判決(20196)以降のマスコミ記事; リアルドール規制を求める論調が高まる

-         児童型リアルドール、イギリスで摘発されたら懲役刑 | CBS Nocut News
-         「児童型リアルドール」処罰できない法律『女性嫌悪的な消費の恐れあり』| Money Today
-         国会立法調査処「リアルドール」規制の必要性を提起 | Media Oneul
-         立法調査処 「リアルドール」「女性嫌悪犯罪の懸念。様々な規制が必要」|ニューシス
-         [議論再び]青瓦台は基準を定める方針リアルドール依然として議論の最中 2019. 09. 12 | Asia Business Daily
-         [KISTI科学の香り] リアルドール議論、本当に性犯罪の増加に影響する? 2019. 09. 20 | 金剛日報
-         青瓦台『「児童や特定人物」リアルドール規制を積極検討』2019. 09. 06 | 京郷新聞
-         青瓦台『児童型リアルドール規制案を積極検討する方針』2019. 09. 06 | 世界日報
-         青瓦台『特定人物を模したリアルドール、厳しい法的処罰へ』2019. 09. 06 | 韓国経済テレビ
-         青瓦台『リアルドール販売サイト、定期的に点検』2019. 09. 09 | KTV
-         青瓦台『特定人物を模したリアルドール、厳しい処罰を検討』2019. 09. 06 | YTN
-         青瓦台『当事者の同意得ず「似た顔のリアルドール」、規制・処罰を検討』2019. 09. 06 | Korea Herald Business
-         青瓦台『リアルドール輸入禁止』請願に「現実を反映する制度の改善を約束」2019. 09. 06 | CBS Nocut News
-         『リアルドールは女性を性的商品化せずに性的欲求を解消する方法』2019. 09. 03 | 時事ジャーナル
-         『リアルドールは猥褻物罪ではなく、個人の尊厳を害している』2019. 09. 03 | 時事ジャーナル
-         「リアルドール」と性搾取そして「反ポルノ」運動 2019. 08. 28 | CBS Nocut News
-         [NEWSUDAL] 私と似た「リアルドール」? 肖像権・人間としての尊厳の毀損だ!! 2019. 08. 30 | ハンギョレ新聞
-         女性の人格を傷付ける男性の性的私生活白熱する「リアルドール」2019. 08. 25 | ソウル新聞
-         「遺体を見るような気持ち」切断され捨てられた「リアルドール」の写真、議論に 2019. 08. 24 | 世界日報
-         「顔をコピー、125cmのかわいいスタイル」リアルドールの懸念、現実化するか 2019. 08. 19 | News1
-         「児童型リアルドール」所持だけで最大10年刑豪、全面禁止法を推進 2019. 08. 27 | 国民日報
-         『リアルドール、誰かにとっては家族です』江南に登場したリアルドール [Hux] 2019. 08. 09 | Financial News
-         [字幕ニュース] 女性を模した「リアルドール」子供や青少年型のものも販売 2019. 08. 19 | YTN
-         「残酷な犯罪現場みたい」四肢の切断されたリアルドール、議論に 2019. 08. 17 | Asia Business Daily
-         リアルドール、もっとリアルでないと禁止されない? 2019. 08. 10 | 京郷新聞
-         [カラフル] リアルドール、猥褻だから問題なのか 2019. 08. 09 | 国民日報
-         リアルドール議論、販売業者に聞いてみた 2019. 08. 10 | 京郷新聞
-         [ニュースAS] 女性たちはなぜ「リアルドール」販売に怒っているのか | ハンギョレ新聞
-          [あなたのお考えは?] 「リアルドール」輸入許可論争 「個人の自由」VS 「尊厳を毀損」2019. 07. 31 | ハンギョレ新聞
-         リアルドール販路開けた最高裁…24回の「性具」言及に理由はあった | 中央日報

**国会で規制のための立法が発議され、女性家族部と青瓦台は規制の意向を発表。


2. 性的行為と表現に対する韓国社会の文化的・制度的な変化の様相

1)  厳粛主義・保守主義・規制主義・厳罰主義の強化

 2015年度からフェミニズムの流れや女性嫌悪反対運動が大衆化され、性行為や性表現の領域において保守主義と厳罰主義が強化されつつある。MeToo運動の結果、虚偽告訴罪に関する司法手続マニュアルと最高裁の判決により、非同意姦淫罪が事実上導入され、恵化(ヘファ)駅でのデモなどにより、HTTPSブロッキングやP2Pアップローダーの処罰、ポルノ規制の強化、デジタル性犯罪に対する処罰の強化などが続々と導入された。特に女性に対する性暴力や性犯罪のカテゴリーが急速に拡大され、処罰も強化される特徴が見られる。
 文化的には、女性嫌悪、被害者中心主義、性の商品化、性的対象化、2次加害、性認知感受性などの概念が拡張され、政府も政策としてこれらを受け入れることにより、性的表現の領域において、特に女性を描写対象とする表現は保守主義や厳粛主義へ移行しつつある。またポップカルチャーにおいては、制度的な規制が導入される前から、消費者運動の形としてのフェミニズムやポリティカル・コレクトネスの主義主張が、直接の規制並みに影響を及ぼしている。

2)  国家VS個人の構図に代わって、性別同士の対立構図が登場

 これらの変化は、伝統的には規制に反対して自由と権利に敏感な反応を示していた左翼・進歩系グループ・フェミニストたちによって主導されたという特徴が見られる。禁止することを禁止してさらなる自由を求めていた勢力が、そうではなく規制を要求し厳罰主義に賛成している。その主張の根底には、国家VS個人という構図に代わっての、アイデンティティー・ポリティクスに基づいた性別対立という構図がある。「強者・抑圧者・加害者(男性)VS 「弱者・被抑圧者・被害者(女性)」という構図は、権利を制限して規制を導入しようとする国家に対する警戒感を崩し、弱者の保護と権利を守るという名分を前面に掲げながら、段々と国家による権利抑圧の権限を強化させていくという問題を誘発している。

3)  自由権的な基本的人権に対する侵害、違憲的な制度や文化の拡大

 「女性を醜く描写する創作の自由は委縮させるべきだ」「性の商品化と性的対象化は女性嫌悪である」「女性に対する性犯罪には有罪推定の原則を適用すべきだ」「セクハラと性差別の(無実)立証責任は通報された者にある」「性別に基づく暴力は特別に取り扱うべきだ」「家庭内暴力が“予想される現場で容疑者を逮捕しなかった公権力は処罰されるべきだ」「(威力による姦淫罪の被告人が)1審判決で無罪でも、最高裁で無罪となるまでは有罪である」「性犯罪に対する有罪・無罪の判断には、性認知感受性を適用すべきである」

 これらの表現は、公的メディアに寄稿されたか、国会議員が発議した法案、行政府の長官が国会で発言した内容、そして司法の判決文で摘示されたものである。今の韓国社会では違憲的な態度や文化が当然視されている。文化運動が先立って制度がそれを受け入れる形で、証拠主義をはじめ、立証責任の原則、無罪推定の原則、疑わしきは被告人の利益にといった刑事法の大原則が無力化され、自由権的な基本的人権が形骸化されつつある。女性の主体性を叫んできたフェミニストたちは、女性を保護の対象と規定し、性的自己決定権を行使できないものとして主張するようになった。ヴィクティム・フェミニズム(Victim Feminism)は女性運動の強力な武器として用いられ、極端な事例を浮き彫りにして、個人の自由権を縮め、規制の正当性を擁護する。自由の制限は自由を拡大するためにしか許されないという昔からの原則が、権利の論証も行われないまま歪曲されている。

4)  男性に対する嫌悪文化の拡散

 既に制度的な平等については保障されている近代の法治国家において、女性の権利擁護運動が力量を発揮する分野が犯罪と文化の領域だ。特に性犯罪は、女性たちが負った被害の中でも極端な事例が存在する。そのため、規制や処罰についての大衆からの賛同を得やすい。性犯罪を特別に浮き彫りにすることは、男性全般を潜在的な加害者や潜在的な性犯罪者とみなす誤りを犯してしまう。男性性という特質が有害なものとみなされ、欲求それ自体が嫌悪や規制、更生や抑圧の対象となり、またそれを当然と考えてしまう。その結果、男性を反文明的な存在とみなして嫌悪する文化が根付いてしまうのだ。男性の欲求についてのいかなる許容も認めようとしなかったり、男性の欲求を受け入れることが即ち男性による支配の強化であるとの非難が生まれたりする。男性の性的欲望は、防御しがたい領域へと追い込まれてしまったのだ。

 ジェンダー感受性、性認知感受性、性の商品化、性的対象化、被害者中心主義といった概念は、文化的には女性運動に正当性を付与してきたものの、実際のところ明確な概念化はできない上、権利として論証されていない概念である。それにも関わらず、これらを明文化された処罰と規制の領域における基準として適用しようとしているため、摩擦と軋轢が不可避となる訳である。リアルドールに対する規制の要求も、その延長線に置かれている。


3. リアルドール規制の主な論点:ポルノ合法化論争と類似している

1)  厳粛主義・保守主義・規制主義・厳罰主義の強化

 実際の人物を模して製造した場合は、現行の法律を適用した上で民事責任を追及し、刑事処罰を下すことが可能である。女性の芸能人を模した性的表現物の場合、その女性の通報により処罰が下された事例も複数ある。男性の芸能人を模した性的要素の強いファン・フィクション、BL(同性愛もの)も、創作、消費、そして流通しているものの、禁じられた事例はない。児童を模したリアルドールでは、実際の人物ではなく児童全般という抽象的な次元の人格権が焦点となっている。この場合、「児童」をどう規定すべきかという問題を先に解決しなければならない。小柄だと児童型リアルドールなのか、幼っぽい顔をしていると児童型リアルドールなのか、いずれも規定としてはあいまいである。アチョン法論争の時と同じである。広範かつ、あいまいかつ、抽象的な禁止だ。国民の権利を制限できる権利を国家に与える際には、厳正なる審査が必要である。

2)  リアルドールは実際の女性に対する性犯罪へ繋がるおそれあり?

その論理は、ポルノに対する昔ながらの主張と同じである。女性運動家たちは「ポルノは理論でレイプは実践」と論じる。ポルノを通じて女性に対するレイプを学習した男性たちが実際にレイプを実践すると言っているが、その証拠は示されていない。この論理だとポルノを合法化した多くの国での性犯罪発生件数は、合法化していない国のそれより遥かに多くなければならない。この論理は、リアルドールを利用する男性たちが、実際の女性とリアルドールを相手とする自慰行為の区別ができないという認識に依拠している。男性を卑下する論理でもある。人々は犯罪とそうでないことが区別できるし、実際の性行為と自慰行為だって区別できる。

規制賛成論者たちは、リアルドールと性犯罪の因果関係は立証されていないとしても、相関関係は存在すると主張する。もしも相関関係を示す統計的な根拠があるとしても(勿論存在しない)、それだと他の領域においても、相関関係を理由とする禁止の原則を一般論として受け入れなければならなくなる。自動車の増加が交通事故の増加を招く。女性の経済進出は女性うつ病患者の増加と相関関係があるという研究結果も存在する。アイスクリームの消費量が増加すれば自殺率が高くなるというデータもある。このような理由で、自動車、女性の経済活動、アイスクリームを禁止することは可能であろうか。ポルノを合法化したら、レイプ犯罪が有意な形で減少したという研究結果も存在する。この論理はなぜ受け入れないのか。リアルドールと実際の性的行為に蓋然性があるという論理を主張したいなら、蓋然性は一方的な形で動かないという論理も受け入れるべきである。リアルドールを利用して満足したため、実際の女性をレイプしなかったという蓋然性も受け入れるのだろうか。「化粧が濃かったし露出度も高い女だった。そうでなければレイプなんかしなかった」というレイプ犯罪者による化粧と露出度の高い服についての主張を棄却して、なぜ性的道具に限っては因果関係と責任を導き出そうとするのか。一般原理を受け入れようとしないまま、望んでいる結果を求めて選択的に主張する論理は、合理性の問題を考慮すると受け入れることはできない。

3)  リアルドールは女性に対する性的商品化と性的道具化であり、女性の尊厳性を毀損する?

 性的商品化が問題であるなら、セクシーな男性の身体を露出する表現物や、男性有名人の筋肉質な身体など、様々な表現物を一緒に禁じなければならない。性的商品化とは女性に限らず、性的コードを含んだすべての表現物に対する論理である。何を、どこまで、誰が、それらを「性的商品化」と規定するのか。性的商品化はなぜ悪いのか。概念を明確にするための努力もなければ、権利の論証もできていない、危険な主張である。男性器を模した自慰道具も禁止するつもりなのか。

 歪んだ女性像を流布するということでリアルドールを禁止するのであれば、シンデレラコンプレックスを描いた創作物や純愛作品も禁じるべきとなる。そして、歪んだ男性像を流布するからと、ヒーローものや戦争ものも禁じなければならない。男性を性器中心でイメージさせるから、男性器を模したディルドも禁止となり得る。人間像を歪曲するという理由で表現物を禁止するとなると、様々な表現物が禁止の網にかかってしまう。人間性の歪曲は、世の中に存在する全てのファンタジーに盛られた事柄であり、そうであるからこそ、人々はファンタジーを消費する。

 女性を性的道具化するからリアルドールの利用は問題だ、という主張がある。男女を問わず、自慰は最も内密の行為である。誰の権利も侵害せず、自分の性的趣向と欲望を満足させる行為であり、性的自己決定権の領域に入っている。女性を卑下するという理由で自慰道具を禁ずるとしたら、女性を卑下せずに可能な自慰行為とは何なのか。自慰行為で女性を性的欲望の対象としても、それは自然なことであり、不当と非難されるようなことではない。性別を問わず、性的欲望の対象となるということは人間の本質的な欲望であり、それを否定することはできない。

4)  リアルドールは女性を性的対象化(sexual objectification)し、人間の尊厳を毀損する?

 様々な対象化と区分して性的対象化だけを禁止するためには、正当な理由が存在しなければならない。我々はある存在を性的対象化したからといって、その存在を直ちに卑下・歪曲するようなことや、その人格を侵害するようなことはしない。例えば、ある存在の性的な美しさを論ずるだけで、人格の侵害が起こったとは言えない。これは、対象化という用語を誤用・乱用しているために発生する問題である。対象化とは、技能的な特殊性を強調・活用するための方法と態度である。人間の身体を表現する方式は様々である。化粧品の広告に登場する唇、トレーニングマシンを宣伝するために登場するがっちりとした胸元、髪の毛や顔等々。必要に応じて身体の特殊な部位に焦点を合わせる行為があったからといって、それが人間を人間でないものに変質させてしまう訳ではない。これらを「非人間化」とはまず呼ばない。それぞれの表現物には、それぞれの表現領域があって、その表現が全人格的な全ての要素を全部含んでいるとは言えない。これは表現物の目的と限界にも合っていない。トレーニングマシンを宣伝するために登場した筋肉質のモデルに熱狂するのは、全人格的な人間としてではなく、運動によって身体を堅実に管理するという機能性に焦点を合わせた、部分的なファンタジーだと言える。

 ポルノやリアルドールも同じである。性的道具は性的充足のための表現物であるだけで、見解を確認したり創出したりするものではない。それらは性的ニーズを満たすという領域の表現であって、態度表明ではないのだ。そこにありもしない見解を無理に見出して、非難をし、表現物をなくそうとするような主張は、他人のニーズを抑圧して軽視する態度である。この態度こそが、性的対象化の概念を誤用・乱用しているのだ。
 規制を主張する者たちは、自分たちが反対しようとする事案では、他人のことを手段として扱う側面があると指摘し、それを「対象化(objectification)」と名付ける。手段として扱う側面さえあれば、すぐさま「対象化」という名前を付けて禁止対象とみなす。性的対象化というレッテルを張ることで、それを即座に軽蔑すべきもの、非人間的なものと糾弾する。

 社会生活を営む人間たちは、お互いに手段として結び付けられざるを得ない。ジムのトレーナーは私の身体機能を向上させてくれる手段であり、私はトレーナーの生計を維持するための手段である。教授と学生、親と子供、商人と消費者等々、全ての人間関係には相互手段的な側面が存在する。ここで言う「手段」とは、「自分の欲求と幸福のために利用する」という意味を持つ。ところが、対象化の概念を乱用すれば、何でもかんでも悪く言うことができる。リアルドールという道具の利用は性的対象化であり、この対象化のせいで女性が人間以下の存在に格下げされるという主張は、歪曲した尊厳性の概念イメージによる主張に過ぎないし、実際のところ、この場合においては客体化[1]は何ら起きていないのだ。

 機能的な特殊性を浮き彫りにして活用する他の活動は問題視せず、性的なものを表現すれば「対象化」という用語を使って批判することこそが差別的な用語の使用と評価できる。このような差別的な用語の使用は、セックスそれ自体を非人間的な行為とみなす、反肉体的、ピューリタニズム的な性嫌悪主義に依拠している。


4. 禁止することを禁止せよ

 最高裁判所の判決以降、リアルドールの規制を求める青瓦台への国民請願に賛同した人々は20万人を超えている。韓国の儒教に基づいた文化規範と、独立以降入ってきたキリスト教のピューリタニズム的な文化規範は、これまで一度も挑戦を受けずにきた。性的自由を求めるトレンドも一時的にはあったがすぐに消え去った。性的なものを罪悪視し卑賎なものとみなす禁忌の感情(phatos)の上に、女性を家父長制社会における性的搾取の被害者と位置付けるフェミニズムが出会うことになった。儒教、キリスト教、フェミニズムという3つの領域の禁忌が連合し、性倫理の気風となった。3つの中どれか一つを受け入れるだけで、性的規制において同じ結論を支持して、実践することになるため、強大な力を発揮することになる。リアルドール規制の主張が支持される背景には、韓国社会のこのような特殊性が作用している。

 今の韓国社会は、性的快楽を罪悪視する文化をも越えて、法によってそれらを犯罪化としようとしている。特に性的な領域において、2010年以降、法令による犯罪化が加速しつつある。性的な厳粛主義と犯罪化は果てのない強化へ進んでいく一方で、緩和されたことがない。万人が万人を締め付けることによって、人々を苦しませて、大切な価値からは遠ざかる一方である。

 基本的人権は、本来であれば単なる連想ゲームによって制限することはできない。「リアルドールは性的対象化だ・それは女性の体を搾取することだ・人間の尊厳を害するから規制すべきだ」といった連想ゲームが認められるのであれば、禁止の標的から除外される思想は存在し得ない。この気ままな連想ゲームの過程に、人権についての法的論証はまったく存在しない。

 リアルドール規制を求める主張は、法体系の正しさという側面から考えても間違っている。欲望自体の規制を現実化するということは、ファンタジーを消費する人間を何の責任も負わない主体であることを前提にすることだ。現実で処罰の対象となるのは「行為」である。ハードコアの殺人ストーリーを見て衝動的に人を殺したという犯罪者に対して、その表現物を見たことを理由として殺人行為について免責することなどあり得ない。我々の法律が前提としているのは、コンテンツを見る際それを通常の形で消費する、理性を持っている消費者である。免責の対象となるのは、その人が理性的な行為者でないと判断された場合であり、責任阻却の事由となる。ある一人の犯罪行為に表現物が影響を及ぼしたからといって、それを規制しようとすれば、罪を犯していない無数の人々の幸福追求権を制限する行いとなる。そのような行いを信頼することはできない。また、犯罪者は自己の行為の責任を、他者に転嫁しようとする性質を持つ。道徳的責任から逃げ、社会に広く普及している俗説に沿うことによって免責を受けるためである。全ての事件には原因と結果が存在する。聖書を読んで自ら他人を審判するつもりで連続殺人を起こしたといって、それを聖書のせいにすることはできない。聖書を誤読して行為に出たことが過ちなので会って、読んだこと自体や聖書を出版した団体の間違いではないのだ。因果関係のチェーンの中に、ある人の主体的な決定—審判のつもりで人を殺した殺人犯の決定—に介入した瞬間があったとしても、このような規範的な因果関係に対しては対応できないというのが、法原理の重要な原則なのである。

 人権の単位は個人であり、リアルドール問題は、重要な基本的人権である性的自己決定権を侵害する恐れが高い。他人の権利を直接侵害しない限り、全ての個人には性的趣向の自由が保障されるべきである。一部に犯罪の可能性のある例があるからといって規制を支持するようなことは、国家権力の不当な乱用に繋がる恐れがある。韓国の憲法第17条では「すべての国民は私生活の秘密と自由を侵害されてはならない」と定めている。最高裁判所の判決文にも述べられている通り、「個人のプライバシーの領域に対する国家の干渉は最少化すべき」である。

 また、リアルドールの規制を主張する人々は、自分自身の性的自己決定権を行使する権利とともに、他人の性的自己決定権も行使できる支配権を握ることとなる。他の構成員たちは、自分の性的自己決定権が他人によって支配されるという、権利の毀損を経験することとなる。これは社会構成員同士の権利行使における不平等を起こす問題である。全ての国民は自由な人格的存在として平等である。

 価値と規範との混同は、リアルドールを規制せよという主張の主な原因である。規範とは、ある行為を全ての社会構成員が平等に例外なく実施すべき責務を課すものである。一方、価値とは相互主観的に共有される選好である。規範は妥当か・妥当でないかを判断するものだが、価値とは主観的な良し悪しや、魅力的かどうかを主観的に判断するような要素を含んでいる。「女性が人格を持つ存在として尊厳をもって扱われる権利を侵害する」というリアルドール規制賛成派の主張は、「人格」「尊厳」「侵害」「権利」などといった概念を、解釈する者たちが主観的な判断によって左右できるという危険性を持つため、規範の根拠として適用できない。自分の政治的・宗教的・文化的信条に基づいただけの規範を皆が守るべきだと主張しながら、他人の自由を制約して、自分自身の信念を不公平に浸透させようとすることは、個人の自分自身による究極的な自律性を無視する行為である。

 韓国の憲法第371項では、「国民の自由と権利は憲法に列挙されない理由により軽視されてはならない。」とし、372項では「国民の全ての自由と権利は国家安全保障、秩序維持または公共の福祉のため必要な場合に限って法律により制限することができるが、制限を行う場合も自由と権利の本質的な内容を侵害することはできない。」と規定している。

 現在の性的領域の中で規制を主張する者たちは、憲法によって保障された自由の解釈を変える戦略を使っている。これまでは安全、伝統の価値、徳という価値(value)が自由を攻撃してきたが、最近では自由それ自体の概念が変えられようとしている。これは世界的なトレンドでもある。進歩系のメディアはリアルドールの議論について、それを嫌悪する女性たちの立場を代弁し、人間の尊厳の概念を打ち出しながら、規制している外国の事例だけを強調している。リアルドールが女性の地位を脅かすと主張する。女性の地位は、ポルノや性的表現物や性具の禁止などではなく、ある社会の文明化、近代化、法治主義と市民意識の成熟によって決まるのだ。

 リアルドールが誰の権利を侵害するのか。人権の享有の単位を、児童や女性という属性集団にも適用できるのか。私的領域に対する国家の介入をどこまで容認すべきか。人間の最も本質的な欲望と想像を犯罪化して禁止することは妥当なのか。さらなる自由を求めて国家の抑圧に対抗してきたはずの進歩主義は、今どこに立っているのか。リアルドールの規制問題を判断するための重要な基準は、個人の自由や権利を損なうことなく、市民同士の平等な地位を保障する公平性にある。我々はだんだんと、自由の感覚を失いつつあるのだ。



[1] 性的対象化の禁止を導き出すのは、対象化(objectification)ではなく性(sexual)にある。リアルドールについて「性的対象化」という用語を用いることは、同意能力、行為能力、自己決定能力のある存在についての論点であるかのような誤解を招くものである。元々の議論の文脈をより正確に伝えるためには、対象化よりも客体化という訳語のほうが正しいようである。


[イ・ソンオク]
 作家。ジェンダー・イクオリティ・アクティビスト。2010年全泰一(チョン・テイル)文学賞の記録文(長編)部門を受賞。著書にジェンダー問題などに関する評論集『우먼스플레인 (女たちの平原 ~皆が平等で幸せな、適切なジェンダー意識のために~)(2019)、『단단한 개인 (固い個人)(2020)。ネットメディア「イ・ソンオクドットコム(leesunok.com)」と、Youtubeチャンネル「イ・ソンオクTV」を運営中。




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2020年5月18日月曜日

日本語版「芸術の自由マニュアル / 芸術の検閲マニュアル」

 全米反検閲連盟 発行の『A Manual for Art Freedom / A Manual for Art Censorship』の日本語訳(暫定版)を公開します。

2020年5月13日暫定公開版
 皆さんからのフィードバックを見た上で、冊子に印刷をして、お届けする予定です。

 あの手この手を使って芸術表現を抑圧しようという検閲者たちの試みに、アーティストや芸術インフラは、どう対抗することができるのか? そのアイデアと哲学が詰まったマニュアルとなっています。



日本語版巻頭言 「表現の自由」と「検閲」censorship 

監訳者:志田陽子(武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法))

「検閲」という言葉が2019年後半、メディアを賑わした。8月初旬、「あいちトリエンナーレ2019」の中の一企画「表現の不自由展・その後」が中止されたことに端を発している。しかしここ数年の出版を見ると、それ以前から「検閲」を問い直す本格的な図書が立て続けに出版されている。「表現の自由」について、社会が疑問や不安を感じていることをよく示している。

日本国憲法21条は、公権力の担い手が一般の表現活動に介入しないように最高度の自制を求めることで、「自由」を保障しようとしている。「検閲の禁止」ルールもその一つである。この「検閲」という言葉の用法が、日本の法学の世界と、それ以外の世界とでは、大きく違っている。

日本国憲法上の「検閲の禁止」は、戦前の日本で行なわれてきた言論弾圧への反省から、絶対的な禁止だと理解されている。そのせいか、日本の最高裁は「検閲」を、「行政権が」「事前に」「思想内容に着目して」行う表現内容の審査だ、というふうに極度に絞り込んでいる。

この絞り方は狭すぎて、実際には役に立たない、という批判があることは確かである。「あいちトリエンナーレ2019」で起きた「表現の不自由展・その後」の中止はまさに「検閲」ではないのか、なぜ日本国憲法21条「表現の自由」の専門家はなかなかこれを「検閲」と言おうとしないのか、という声は、そうしたところから起きている。

この「表現の自由」マニュアルと「検閲」との付き合い方マニュアルは、そうした作家側の言葉としての「検閲」を考察の対象としている。たとえば、日本の憲法論では、新聞や出版社が自ら行う記事の選択は、「編集権」という自発的な行為として把握され、検閲とは呼ばない。美術館が展示する作品を取捨選択するときも同じである。しかし、そこにこそ「表現の自由」を摘み取る「何か」が及んできているのではないか。むしろそこで、文化芸術インフラに関わる者たちや表現者たち自身が、無自覚なまま、検閲を行う側にまわっていないか…


そうした問題は、日本の法学上の「表現の自由」論が、なかなか手を届かせることができずにきた領域だった。ミンチェバ氏の「マニュアル」は、そうした問題に、表現者の側から洞察を及ぼし、それらとわたり合う智恵を示している。



A Manual for Art Freedom / A Manual for Art Censorship 日本語版(2020)
 監修・監訳 志田陽子 (憲法学者/武蔵野美術大学教授)
 監 訳 山口貴士 (日本国弁護士/カリフォルニア州弁護士)
 編 集 荻野幸太郎
 装 丁 山田久美子
 発 行 特定非営利活動法人うぐいすリボン

A Manual for Art Freedom/A Manual for Art Censorship (2018)
 Text by Svetlana Mintcheva
 Editing by Joy Garnett
 Design by Marshall Reese
 A publication of the Arts Advocacy Project, National Coalition Against Censorship



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2020年5月12日火曜日

2019年度の事業・会計報告

うぐいすリボンの2019年度の事業報告と財務諸表をアップしました。
https://fields.canpan.info/organization/detail/1500866312

2019年度は、主として、

① 違法・犯罪となるダウンロードの対象拡大を含む著作権法改正問題
② 国連児童権利委員会の児童ポルノ選択議定書ガイドライン策定における創作表現の取扱い問題
③ あいちトリエンナーレが発端となった公的助成を受ける芸術表現の自由に関する問題
④ ネット・ゲーム依存症の対策を理由としたインターネットやコンピューターの利用時間制限等の政策の問題

に関する活動を行いました。