2012年12月4日火曜日

本物の児童ポルノを取り締まりたい


 スウェーデン国家刑事警察児童ポルノ犯罪対策班のビョーン・セルストローム班長の声明文「本物の児童ポルノを取り締まりたい」を翻訳掲載します。
 この声明文は、漫画絵が児童ポルノ犯罪に該当するか否かが争われたシモン・ルンドストローム事件がスウェーデン最高裁で審理される直前の2012年5月に、スウェーデンの日刊新聞「スヴェンスカ・ダーグブラーデット紙」に掲載されました。

Låt oss bekämpa riktig barnporr
http://www.svd.se/opinion/brannpunkt/lat-oss-bekampa-riktig-barnporr_7199866.svd



本物の児童ポルノを取り締まりたい

最高裁判所は、何をもって児童の描写とするか、これまでの判決から改めるべきだ。架空のキャラクターのために時間を取らせるのはやめて、実際の虐待の取り締まりに専念させて欲しい。国家刑事警察児童ポルノ犯罪対策班のビョーン・セルストロームはこのように書いている。


2012515

 水曜、最高裁判所はいわゆる漫画裁判を取り上げる。ここまでと同様の判決が出れば、絵に描いた架空のキャラクターが児童ポルノか芸術かという議論に重点が置かれ、現実の児童虐待を収めた画像や動画の取り締まりが疎かになる恐れがある。そのような判決はやめて、絵の児童ポルノは児童を見た目通りに描いたものに限定しよう。

 実際に虐待の被害に遭い、しかもその様子を記録されている児童にとって、この裁判の有罪判決がどのような利益をもたらすのか、私は疑問に思う。この問題は今後の法律適用において価値が高い

 ルンドストロームは地方裁判所と高等裁判所の判決により児童ポルノ所持で有罪とされた。所持の内容は、ウプサラ地方裁判所の判決では児童ポルノ的と見なされる52枚の絵からなり、このためルンドストロームは軽度の児童ポルノ犯罪で罰金を課された。高等裁判所は同様の判決を下したが、有罪とする所持の枚数を39枚に減らした。

 では、「児童の描写」とは何を意味するのか? 立法者によれば、絵を児童ポルノ的とするためには「性的欲求を刺激する方法で児童を描写」している必要がある。そして、この裁判で問題になっている絵が性的であることは間違いない。しかし、これらは児童の描写だろうか?

 判決を読むと、ルンドストロームはこれらを「人間によく似た生物」の絵と見なしていることがわかる。したがって、児童を描写しているとは言っていない。手描きの、あるいはコンピューターで描画した児童ポルノを今後どう解釈していくかにおいて、これは根本的な問題であり、極めて重要だ。地方裁判所と高等裁判所は、これらの絵は疑いなく児童を表していると主張している。これらはいったい何の絵だろうか? ルンドストロームが有罪とされた絵は、児童か人間かはともかく、思春期が未完了な身体の生物を描いたものだ。最近の漫画絵には、思春期が未完了な身体でありながら、妊娠して腹部が大きいという描写もある。そういった絵はどう解釈するべきか? 児童を描いていると言えるだろうか?

 高等裁判所の判決に「何枚かの絵は、細部において非写実的に表現されているが、人間を描いた絵である事は間違いない。」とある。反対ではないか? 非写実的なのに、どうして人間を描いていると言えるのか?

 児童ポルノ法の法改正予備業務の中で、手描きおよびコンピューターにより描画した画像を児童ポルノと見なす目的として、児童は概して保護価値が特別高く、ポルノ的コンテクストに描かれるのを防ぎたいと述べられているのなら、だからこそ、児童を実際の見た目通りに描写したものに重点を置くことが重要だと私は考える。

 ここで言う児童の描写とは、私が考えるに、例えば身体の各部分と比率が児童の見た目と一致する肖像で、かつ、この場合の法律解釈の基礎を形成するものでなければならない。

 架空のキャラクターに関する通報がある度に、児童ポルノ犯罪として扱う必要があるだろうか?

 最高裁判所でも判決が変わらなければ、児童ポルノ関連の事件数が増える危険が大きい。そうなると、実際に虐待の被害に遭っている児童の写真や動画に関する案件を扱う際、現状より長い時間がかかってしまうことになり、児童の利益にはならない。

 地方裁判所と高等裁判所は、これらの絵を刑罰価値的にはどう判断しているのだろうか? ルンドストロームが有罪とされた絵を刑罰価値的に過去の例と照らし合わせるなら、例えば、男児もしくは女児のアナル挿入写真と比較できる。つまりそういった写真は、必ず「著しく尊厳を欠く」と見なされるとは限らず、それゆえ「標準の」児童ポルノとして裁かれる場合もある。すなわち、ルンドストロームが有罪とされている絵と同様である。

 絵に描いた児童ポルノを重く見すぎ、現実の虐待を疎かにしていることになり、これは信用問題だ。

 私たちは現在、児童がポルノ的なコンテクストに描かれないよう保護する法律を持っているのだから、守るべきは児童であることを忘れず、架空のキャラクターを同列に扱うのはやめよう。虐待され、その様子を記録されている児童は、「人間によく似た生物」と同分類にするほど低価値ではない。最高裁判所においては、何をもって児童の描写とするか、地方裁判所と高等裁判所の判決から改めることが非常に重要だ。架空のキャラクターが児童ポルノかどうか判断する仕事で警察を手間取らせるのではなく、実際の児童虐待を取り締まる仕事に専念させて欲しい。


ビョーン・セルストローム
国家刑事警察 性的児童虐待・児童ポルノ犯罪対策班 班長




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