2013年1月15日火曜日

漫画はいかにして児童ポルノとされたか

 フリー・ジャーナリストのホーカン・リンドグレーン氏が、スウェーデンの児童ポルノ法の立法背景について解説した記事を、日本語に翻訳して掲載します。
 この解説記事は、シモン・ルンドストローム氏が、最高裁判所で無罪判決を受ける2012年6月より約半年前の2011年12月に、夕刊紙エクスプレッセンに掲載され、国会議員:マリア・アブラハムソン氏のブログでも引用されたものです。

 リンドグレーン氏からは、「日本の方が私の記事に興味を持ってくださったことを、驚くとともに、光栄に感じています。翻訳を嬉しく思います」とのメッセージが寄せられています。


漫画はいかにして児童ポルノとされたか

 スウェーデンにおける児童ポルノ禁止法制の背景


スウェーデンには30年に渡り、あまり知られていない、小さい法律が存在している。その法律は、漫画絵を児童ポルノに変えることができる。2009年10月13日、ついにこの法律の餌食となる者が現れた。シモン・ルンドストロームは娘の監護に関する争いの中で、娘に性的暴行を働いた疑いをかけられ、この日、警察が家宅捜索を行った。



ルンドストロームは娘に対する暴行の疑いに関しては無罪放免となったが、パソコンに保存されたデータから日本の漫画キャラクターを描いた51枚のアマチュア絵が見つかり、このために起訴された。ウプサラ地方裁判所はこれらを児童ポルノと見なし、2010年6月30日、ルンドストロームに有罪判決を下し、24800クローナの罰金を科した。押収されたハードディスクの中身は、起訴内容とは関係のないものまですべて駄目になってしまった。

「私は本当に多くのデータを失いました。古い家族写真や、これまでの仕事、コレクションしていたものなどすべてです。例えるなら、あなたの机の引き出しからピストルが見つかったので、あなたの家を跡形もなく燃やしておきました、と言っているのとほぼ同じ理屈です」


ルンドストロームとレイフ・シルベルスキ弁護士はスヴェア高等裁判所に上訴し、2011年1月28日に判決が出た。判決には、描かれているキャラクターについて、「一部は、猫のような耳及び尾を持つ。または鼻及び口のない者もある」と明記してある。しかしながら、フレードリク・ヴァシェル高等裁判所長官とその同僚たちは、「何枚かの絵は、細部において非写実的に表現されているが、人間を描いた絵である事は間違いない」という結論を導き出した。ただ、12枚の絵が一転無罪となった。80日間の日数罰金は変わらなかったが、額は5600クローナに減った。地方裁判所の判決が出た時点で、8年来の翻訳依頼主ボニエル・カールセン社がルンドストロームと関係を絶ったためだ。

現在、最高裁判所で審理が進行中だ。その判断は年明けに持ち越される。法的保障と芸術の自由に関心のある者はみな、この裁判を注視するべきだ。もはやシモン・ルンドストロームひとりの問題ではない。というのも、今年の春のヨハンナ・コリヨネン の記事に、漫画販売業者が萎縮して読みたい本を入荷してくれないとの記述がある(雑誌フォークス5月27日号)。

「出版業者と漫画家たちは非常に神経質になっている」とスウェーデン漫画協会のフレードリク・ストロームバリ会長は言う。「描き手たちは、何なら描いてよいのか、18歳未満でないことを強調しなければならないのか、疑問に思っている」


不合理に思えても、地方裁判所と高等裁判所の判決は法律に則っていると言わざるを得ない(刑法16章10条a)。だから、漫画裁判が呼び起こした最も重大な疑問は、架空の絵を児童ポルノと解釈できるような法律がどうして出来てしまったのか、ということだ。

法改正当時の調査報告書や議案書を読むと、立法者たちはある悪法から次の悪法へとつまずくように法律を変えてきたことがわかる。発端は、1971年のポルノ合法化だ。

1965年、スヴェン・ロマーヌスが代表を務める調査委員会が、表現の自由及び出版の自由に関する法律の見直しを始めた。1969年、調査委員会は『表現の自由の境界』と題される調査報告書(SOU 1969:38)を提出し、この中で当時のポルノ関連法の廃止を提案した。当時の法律はポルノ製造者への配慮に基づいていなかった。つまり、ポルノは「規律と道徳」に反するため、違法だった。

調査委員会もレミス制度 により意見を求められた多くの機関も、性的児童虐待やその他の目に余るサディスティックな描写を含むものについては、違法のままでよいという意見だった。


しかし、レンナット・イェイイェル法務大臣(社会民主労働党)はそうではなかった。「そのような規制は、私の解釈では、規律と道徳に反する行為の罰則を廃止しようという案の根底にある思想に反する。つまり、可能な限り多様なメディアの中から、個々人の意思で見たい描写を選択できるようにしようということだ」と宮殿での講演で述べている(参考:議案書 proposition 1970:125)。

そうして、児童ポルノを含むすべてのポルノが合法となった。後の法改正予備業務によれば、70年代はポルノ店で児童ポルノを販売していた。しかし、その状態は長くは続かず、振り子は逆向きに振れ始めた。1977年、ウーラ・ウルステーン内閣の法務大臣になっていたロマーヌス(所属政党なし)は、新たに調査委員会を設置した。表現の自由に関して基本法を見直すため諸問題を調査する、表現の自由調査委員会(YFU) だ。当時の指示文書から、ロマーヌス法務大臣が「刑罰対象の慎重な拡張」、つまり、児童虐待を描写したポルノの規制を望んでいたことがわかる。翌年、YFUは調査報告書『児童ポルノ』を提出した。ここが問題だ。委員たちはこの報告書で「児童ポルノに関する罰則は、あらゆる種類の画像に対して有効にするべき」と述べた。さらに、「絵も含めるべき」としている。どのような理由でそうしたのか? 「絵であっても、生身のモデルを元に制作された可能性を無視できない」

YFUの代表は〈訳注:当時エスキルトゥーナ・クリーレンEskilstuna Kuriren紙の〉ハンス・シェイエル編集長だった。他の委員には、作家のアンデシュ・エーンマルク、バッティル・フィスケシェー議員(中央党)、リーサ・マットソン議員(社会民主労働党)、ウッレ・スヴェンソン議員(社会民主労働党)、パール・ウンケル議員(穏健党)、そして中央党の青年団代表アンデシュ・ユンググレーンがいた。

現在、駐アイスランド大使の職に就いているユンググレーンは、レイキャヴィク市への電話取材で、「フィクションが罰せられるのなら、法改正するべきです」と話している。

調査報告書『児童ポルノ』には、現実の児童虐待に基づいて絵の児童ポルノを作った実例がひとつも載っていない。筆者はユンググレーンに、委員たちがそのような事件を知っていたか聞いてみた。

「いいえ。具体的な例ではなく、単にそういった事態が起こり得るという予測に基づいたものだったと思います」

あらゆる種類の画像をあたかも児童虐待に基づいているかのように犯罪化するなら、罪は証明可能でなければならないという原則はどうなるのか? 議案書(proposition 1978/79:179)によれば、レミス制度で意見を述べた27の機関のうち、想像表現を現実の虐待の画像と同等に規制する文言を法案に盛り込むことに反対したのは、たった3つの機関だけだった。ストックホルム地方裁判所、性犯罪委員会、スウェーデン作家協会の3つだ。出版オンブズマンのレンナット・グロルにいたっては、文章も規制するべきだと述べた。


ロマーヌスは絵も規制対象に含めようというYFUの案を支持し、「この種の画像は概して児童に対する侮辱である。それはモデルに使われる児童への侮辱のみに留まらない」と議案書に書いた。そうして、ロマーヌスは2つの異なる理由を同一視した。この混同が、その後の児童ポルノに関する議論でほぼ毎回、問題になっている。ロマーヌスは、児童ポルノはモデルの被害児童がいるため罪だという考えと、児童ポルノは児童一般に対する侮辱だから罪だという考えを持っていた。

しかし、これら二つの理由の一方が他方を強めるわけではなく、むしろ両者は相反している。児童ポルノが児童一般の侮辱にあたるのなら、被害児童の存在を指摘する必要はない。

1980年1月1日から、児童ポルノの製造及び頒布が違法になった。この新法は、出版の自由基本法 の例外項目に、名誉棄損、犯罪的行為扇動、基本法による保護を受けないその他の事項に並ぶ形で加わった。想像を絵に描くことを規制する法案を押し通すのは、難しいことではなかった。


90年代初頭に明らかになった2件の重大な児童ポルノ事件もあり、その後も児童ポルノの議論は続いた。1996年、ECPATの最初の「子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」が開かれ、政府がホストを務めた。この会議の際、スウェーデンでは児童ポルノの所持がまだ合法だったため具合が悪くなり、ヨーラン・ペーション総理大臣は所持を規制するよう指示した(ダーゲンス・ニーヘーテル紙 1996年9月1日)。
最高裁判所判事インゲヤード・ヴェストランデルが新たに設置された児童ポルノ調査委員会の指揮を任され、翌年、同委員会は調査報告書『児童ポルノ問題――所持の犯罪化等』(SOU 1997:29)を提出した。

この報告書がレミス制度で議論されると、児童ポルノ規制の文言を基本法に置くのは不適切だという意見が焦点となった。特定の種類のコンテンツを所持規制するのは、出版の自由基本法の原則とかけ離れているためだ。最終的な議案書(proposition 1997/98:43)では、児童ポルノ関連の内容は出版の自由基本法から刑法へ移動した。ストックホルム大学所属で刑法が専門のマデレーン・レヨンヒューヴド教授は、この法改正の際も議論が不十分だったと言う。児童を虐待から保護することを最重要視するのなら、児童ポルノは刑法の6章「性犯罪」で扱ったほうが自然だが、実際は16章「公共の秩序に対する罪」へと移された。

レミス制度でも、絵の規制を踏襲することに対して大きい動きはなかった。レミス制度で意見を求められた85の機関のうち、批判的だったのはBRIS〈訳注:非営利団体「社会における児童の権利」〉、スウェーデン作家協会、ストックホルム大学法学部の3つだった。レイラ・フレイヴァルズ法務大臣(社会民主労働党)はこれらの批判を無視し、「画像を児童ポルノとして罰する際、具体的な性的虐待への結びつけは、刑罰の可否と関係を持たない」「刑罰の可否において、画像が写実的であるか否かは意味を持たない」と議案書に書いた。

フレイヴァルズ法務大臣は、フィクションを含むすべての児童ポルノ的画像が児童一般への侮辱であるという解釈を支持した。大臣による議案書の記述内容は重要だ。なぜなら、スウェーデンの裁判所は法律の解釈に疑問が生じた際、まさにそれを参考にするからだ。ルンドストロームを有罪にした際、高等裁判所は実際にそうした。


度々言及されるこの児童一般への侮辱というものは、そもそもどのように行われるのか? 児童一般が見てもいない絵によって侮辱されるのなら、読んでもいない文章によって同等に侮辱されないのはなぜか?

この侮辱は、妙に限定的に発生するものらしい。もし私が絵に描いた児童の服を脱がすことが許されないのなら、なぜ撃ち殺すことは許されるのか? 絵に描いた児童の命を奪っても、児童一般は侮辱されないのか? 答えは簡単。これは児童の問題ではなく、ある種の大人たちの問題だからだ。すなわち、自分自身の考える最悪は何か――絵か、児童虐待か――自分自身で未だに明確にできていない大人たちと、純粋に利便のために両者を同じ法律で裁くことを好んでいる大人たちの問題だ。

これが現状だ。私たちスウェーデン人は法律を一回りさせた結果、想像を絵に描くことを規律と道徳に反する罪と見なすようになってしまった。筆者はベアトリース・アスク法務大臣(穏健党)に、この現状に満足しているか聞いてみたが、答えてもらえなかった。


ホーカン・リンドグレーン
2011年12月30日

訳注
  ヨハンナ・コリヨネン……評論家。2011年にはアウグスト文学賞選考委員会の一員だった。雑誌フォークスの記事で話題にしていた本はアラン・ムーア、メリンダ・ゲビー作の『Lost Girls』。
  レミス制度……法律案等に関して各機関・団体へ意見の聴取を行う制度。調査委員会が調査報告書(SOU)を送付し、各機関・団体はこれを受けて意見書を作成する。その概要は議案書(proposition)にも記載される。
  表現の自由調査委員会Yttrandefrihetsutredningen(YFU)……日本語では2008年始動のYttrandefrihetskommittén(YFK)と区別しにくいので、アルファベットの略称を併記した。アブラハムソン議員のブログで触れられているヨーラン・ランベルツが所属する「表現の自由委員会」はYFK。
また、utredningという語は「調査」と「調査委員会」どちらの意味もあるので注意が必要。文脈によっては単に「表現の自由に関する調査」という意味でyttrandefrihetsutredningという語が用いられることもある。
  出版の自由基本法(Tryckfrihetsförordning)……憲法に相当する基本法(grundlag)のひとつ。




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