ストックホルム大学のモーテン・シュルツ教授のコラムを掲載します。
後に最高裁で無罪となった翻訳家シモン・ルンドストローム氏のマンガ絵所持裁判についてです。このコラムは、高裁での有罪判決後に、スウェーデン最大の新聞「ダーゲンス・ニュヘテル」に掲載されました。
シュルツ教授からは、「皆さんに日本語で読んでいただけることが、とても嬉しいです」とのコメントが寄せられています。
スパイダーマンを侮辱することはできない
2011年3月30日
「でも、性的侵害にさらされたのがあなたの漫画のキャラクターだったらどうですか?」これは、漫画翻訳家のシモン・ルンドストロームが児童ポルノ犯罪で有罪判決を受けた、いわゆる漫画裁判に関する議論で飛び出した発言だ。この裁判では、子どもに見えるキャラクターを性的なシチュエーションで描写したと見なされる、漫画の絵を所持していたことが有罪とされた。
現実の子どもではなく、典型的な日本の漫画のキャラクターだ。尻尾が生えていたり、目がソーサーのように大きかったりする。スウェーデンにおける児童ポルノ犯罪は、異様なことに、絵と、現実に起こり記録された性的侵害の間に違いがない。
冒頭の引用の馬鹿げた物言いには皮肉が込められている。これは、今までの児童ポルノに関する議論で目立った、次の発言への当てこすりだ。「あなたの子どもが性的侵害を受け、それが記録され出回ったとしても、児童ポルノのために表現の自由を守るつもりですか?」守るわけがない。しかし、漫画のキャラクターは子どもではない。小さいキャラクターだとしても子どもではない。それはフィクションだ。
表現の自由には私たちの好まない事柄でさえ含まれる。極度な状態においてこそ原理は試される。物議を醸すような表現であればあるほど、保護する必要性は高まるのだ。そして、原理とはこれだ:あらゆる表現は、誰かに直接的に損害を与え得るものでない限り、許されなければならない。
本物の児童ポルノには、性的侵害そのものにおいても出版においても、損害を被り侮辱される本物の子どもがいる。だからこそ、法律で禁止と厳罰を定めることができる。しかし、漫画には本物の損害が存在しない。スパイダーマンを侮辱することは不可能である。
児童ポルノは、スウェーデンにおける表現の自由の中で特殊な状態にある。「表現の自由基本法」*aの枠組みで違法とされている表現は多々ある。例えば名誉棄損。名誉棄損は保護される表現のひとつだが、刑罰の対象となり得る。これは、侮辱による被害の発生を未然に避ける利益を重視して法律が作られているためである。
児童ポルノはそういった表現とも異なる方法で制限されている。つまり、基本法の中で明白に例外とされている*b。表現の自由を保護するために発達してきた安全の仕組みが、まったく機能しないようになっているのだ。発行責任も、取材源の秘匿も、出版の自由の陪審もない。表現の自由が一切ないのである。
おそらくこれが理由で、ラーシュ・ヴィルクスと彼が描いたムハンマドの絵を支持した論客たちはルンドストロームにあまり関心を示さないのだろう。
残念なことだ、共闘者が必要だというのに。現実の子どもへの性的侵害を描写したわけでもないものを基本法による保護から弾き出すために「児童ポルノ」という用語が濫用されると、「児童ポルノ」が守りにくい存在であるがために、原理的な表現の自由が必要となる。ムハンマドの絵を掲載した各紙は、表現の自由のために何かしたいと真摯に思うのなら、大きく紙面を割いてこれらの漫画絵を載せるべきだ。
漫画裁判の判決は表現の自由の観点から見て最悪だ。しかし立法者は無情だ。政府はこれを「不急の問題」と説明している。このようなケースでは、表現の自由は優先順位をつけ直してでも議論するに値する。
モーテン・シュルツ
(Mårten Schultz)
(Mårten Schultz)
*a「表現の自由基本法」……原文には「基本法」(grundlagen)としか書かれていないが、わかりやすさを重視し、法律名を限定して訳した。スウェーデンには憲法に相当する4つの「基本法」があり、そのうちのひとつがこれである。単数の定形(英語でいうtheのついた形)である点と、表現の自由が話題になっている点から、「表現の自由基本法」(yttrandefrihetsgrundlagen)を指していると考えられる。
*b「基本法の中で明白に例外とされている」……「表現の自由基本法」の第1章第13条「この基本法は、思春期の成長が完了していない者又は18歳未満である者のポルノ図画に対しては適用されない。」を指した表現と思われる。
なお、基本法条文の翻訳は国立国会図書館「外国の立法」(http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/)の2011年6月版『スウェーデンにおける児童ポルノ処罰規定―児童ポルノ対象範囲の拡大と新たに処罰される行為―』(http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/pdf/02480004.pdf)にある抄訳から引いた。2010年以前の古い条文と並べて比較されているので、興味のある人は参照するといいだろう。
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